悪夢はいつも消毒液の匂いがする。

その幾度となく見た夢は、夢の中ではいつも新鮮でたちが悪い。いつもそれをリフレインだと気付けない。目が覚めたあとはこんなに苦しいのに。


俺は何時も、病室のイメージなのだろう、白い狭い部屋に居た。病室にはベッドが一つと椅子が一つ。ベッドの脇には嫌に真っ赤な花。なんと言う花かは知らない。

俺はベッド脇の椅子に、意志を持って座っている時もあれば、可視の紐でくくりつけられている時もあった。動けないのはどちらでも同じ。俺は椅子に座ってぼうっと、ベッドの上をそれをただ、じっと見ていた。

それはまるで簑虫のように、色とりどりのチューブでぐるぐる巻きにされている。その隙間から出る、目の前の枯れ木のような手だけが妙にリアルで、しかしその首から上は子供の落書きのようにはっきりしない。

じっと、他にすることもなく見つめていると、段々と金縛りのようなものが解けてくる。そしてそれに反するように、花の下の、電気機器の電子音が大きくなるのだ。


『■■■□□□□□□□□□』


俺は目覚ましでも止めるように、そのスイッチを、



――――――………



「ヤァ、初めまして。俺達のこと聞いてるよねェ?」

男は胡散臭い笑みを伴って現れた。金と言うよりは黄色に近い下品な髪色。偏光サングラス。熊田に言わせれば、そんなもん金出してまで買う意味があるのかと言いたくなるような破れたTシャツ。

思わず眉を潜めた熊田に反して、何時ものようににこやかに魚崎が応対する。

「鮫嶋さん?」
「うんにゃ。俺のツレが鮫嶋で、俺は虎谷。鮫嶋は今勝手に駐車場利用chu!」

…熊田は頭が痛くなりそうだった。事の発端は、ちょうど一週間前、熊田と魚崎に回された依頼に遡る。



魚崎邸。
車を止め終えた鮫嶋も合流して、元々はロビーだった場所で顔を付き合わせている。最初に口を開いたのは虎谷だった。

「……まあ、ないケースじゃないよこう言うのも」

ねえ?と同意を求めた虎谷に、鮫嶋が頷いた。鮫嶋は虎谷とは正反対のタイプに見えた。黒髪スーツで、いかにも真面目そうな感じ。ちょっと熊田と魚崎の組み合わせに似ている。
虎谷は許可も取らずに煙草を吸い出した。俺はここまで酷くないな、と無意識に金髪を弄りながら熊田は思った。

「俺達のコトは、どんな風に?」
「サポートセンターみたいなもんだとしか…」
「サポートセンター!!はは、そりゃ、いいや!強ち間違ってもねーしよォ、鮫嶋?」

また鮫嶋がただ頷いて返した。気を良くしたらしい虎谷が紫煙を吐いて身を乗り出す。向かいに座っていた熊田はなんとなく身を引いた。虎谷は熊田と魚崎を交互に見比べて、また話始めた。

「依頼人が逃げるってのは、まあ無くはないことだ。うちは慈善事業だけど、違法も違法、見つかりゃ良くて自殺幇助、後は死刑か無期懲役だから、見付かるわけにはいかない。
だから依頼人は書き込んだ時点でアウト。もう望もうが望むまいが殺す。因みに逃げた奴の紹介主もアウト。そいつも身の危険感じたみたいで逃げ出したからつい昨日殺した。
……まあ、つまり俺達はサポートセンターもとい、猟犬だ。好意じゃなくて、悪意で殺す。わかった?」

頷いた二人に、虎谷は悪意のない笑みで笑い掛けた。二本目の煙草へ火を付けた虎谷に向けて、熊田が初めて口を開いた。

「……詰まるところ、あんたらは何しに来たんだ?依頼人の情報は本部に方向済みだ。俺達には用はないだろ」

罰則でもあるんなら別だけど。熊田はソファへ深く背を埋めた。虎谷が口角を上げて、サングラスの向こうから熊田を見詰めた。その通り。

「これはキミ達のミスじゃないし、てゆうか誰のミスでもない。依頼人がバカだったってだけでサ、つまり俺達が何しにきたかって言うと、キミ達がどうしたいか聞きにきたのサ」
「……どうしたいか」
「そォ。キミ達は、キミ達を裏切った依頼人を、それでも好意で殺してあげたいと思うかい?さっきも言ったように、俺達は悪意で殺す。俺達の性癖がどんなだか知りたい?」

知りたくないと間髪入れずに熊田は言った。その仏頂面を、虎谷が快活に笑う。煙草を灰皿で揉み消して、虎谷はソファから立ち上がった。鮫嶋も続いて立ち上がる。

「俺達はもう行く。勿論殺しにね?実はもう目星は付けてあるのサ。殺したいなら一緒においで」

二人はそう言い残すとロビーを出ていったが、すぐに虎谷だけが戻ってきた。一個だけ忘れてた。

「因みに、依頼人が俺達の好みだったら、譲らないから。じゃっ、サポートセンターの立場から言うと、出来ればおいで。俺と鮫嶋の立場から言うとォ――……めんどくせーから、来るんじゃねェぞ。俺らだって殺したくてウズウズしてんだよ」






虎谷はロビーのテーブルにマジックで、携帯番号を書き残して行った。騒がしい虎谷が出ていって、ロビーは急に静かになった。なんとなく居たたまれなくて熊田は煙草に火を点けた。虎谷の煙草の残り香も気に入らなかったし。

「……で」
「あ?」
「どうしようか」
「……あーー……」

魚崎が前を向いたまま言った。熊田は紫煙を吐き出して、魚崎の方へ首を捻る。

「魚崎、どうしたい?」
「僕はどっちでも良い。殺すのは熊田だろ?」
「……メシは」
「次回でも良い」
「…………」

熊田は頭を抱えた。誰かにこうしろと言って欲しかった。確かに虎谷には来るなと言われたが、ただ彼奴の言葉に従うのも違う気がする。うーんと魚崎が考え込むような息を吐いて、ソファから立ち上がった。魚崎に見下ろされる、何時もとは反対の光景。

「迷ってるなら、とりあえず行こう。止めたくなったら引き返してもいいし。やらない後悔よりやる後悔が僕のモットーだ」



* * *



『………掛けてきてんじゃねーよ。殺すぞ』


案の定虎谷は機嫌が悪かった。どこにいる?とお構い無しに熊田は聞いた。虎谷は舌打ちしながらも、今走っていると言う高速の名前を教えた。それを熊田が魚崎に教える。

「見付けたのか」
『俺らを誰だと思ってんだよォ!サポセンだぞ!?追跡は俺らの十八番だ!』
「はいはい凄い凄い」
『……死ぬか。おい。そんなに死にてェなら殺してやる。でもお前俺の好みじゃないんだよなー』

有り難い話だ。受話器の向こうで、虎谷が溜め息を吐いた。

『どっちかって言うとお前のツレの方が好みだ』
「……伝えとくよ」

熊田は溜め息を吐いた。勿論魚崎には伝えなかった。


「高速に乗った」
『おお。俺達は赤い車。ナンバーは**ー**。一応言っとくけど電話切るなんてドシロートみたいなことはすんなよ?』
「馬鹿にすんな」
『こわいこわい』

虎谷が受話器の向こうで吹き出した。そして誰かに、こいつおっかねーわ、と言っているのが聞こえた。あんまりからかってやるなよ、と誰かが答えたが、多分鮫嶋だろう。

『ま、依頼人も暫く高速降りる気はないみたいだし、ちょっと話でもしようや』
「……話?」

ふと嫌な予感が胸を掠めた。


<改ページ>
『実は俺、お前のこと知ってるんだ。昔新聞で見たことあるぜ』
「…………」
『新聞の他殺自殺の記事は毎日チェックしてる。いつ自分が乗るとも限らねえからな?俺これでもこの仕事長いんだけど、何年前かなァ、お前他殺でぶちこまれてるよな?』
「…………」
『肯定と受け取るぜ』

虎谷は嫌に愉快そうに笑った。電話を切りたくて堪らなかったが、さっき断られた手前どうしようもなかった。

『生命維持装置切って、ご丁寧にチューブも全部ハサミで切って、だったかなァ。こえーなあ、おい』
「………黙れ。殺すぞ」
『つれないこと言うなよ。同類だろ、俺達?』
「違う」
『俺もぶちこまれてんだよ兄弟。前科持ち同士仲良くしようや。どうせあんたもこの仕事、楽しくてしょーがねえクチだろ?』
「……違う」
『好意でやってるとでも?俺に言わせりゃその方が、たちが悪いと思うね…そら結局、同情だ。つまり見下してるんだろ?自分より駄目なやつら見て、まだ大丈夫って安心したいクチ?』

虎谷の哄笑。携帯を握り潰しそうな怒りを、奥歯を噛み締めて堪える。虎谷は高速を下りたところで依頼人を捕まえる気だなんだろう。ふと、電話を切りたくて、依頼人さっさと高速から下りろと言う言葉が頭を過って、愕然とした。
自分は今、自分のために誰かに死んでくれと思った。

『……依頼人が高速を下りたぜ。コンビニのある十字路を左だ』
「魚崎、コンビニのある十字路を左」
「了解」

魚崎がちらりと俺を見た。高速は暫く直進だ。魚崎は左手をハンドルから離すと、俺の手から携帯を奪い取って耳に当てた。一瞬の出来事に驚く。

「虎谷?」
『……魚崎か?』
「あんまり熊田虐めると、バラして食べちゃうぜ。文字通り」
『性的な意味がいーなァ』
「そっちのシュミはないよ」
『俺が開拓してやってもいーぜ?』
「舌とか食いちぎって良いなら考える」
『気が合いそうだ』
「僕は遠慮願いたいな」
『どォして?』
「あんたあんまり食べるとこなさそうだ」

それだけ言って、魚崎は電話を切った。唖然とする熊田を横目で笑う。突然に車がカーブし、二人は高速を下りた。はっとして見回すとコンビニがある。

「で、どうすんの」

魚崎は前を見据えて訊いた。目を凝らすと、遥か前に真っ赤な車が走っているのが見えた。ナンバーまでは見えないが、それで間違いなさそうだ。

「熊田が帰りたいなら帰ろう。それとも、殺りたい?」
「…………」
「別に僕のせいにしてもいいよ。…言っとくけどそういう意味じゃないよ?僕を免罪符にしても構わないってことで」

だから罪の意識なんか覚えなくていいと、魚崎は言っているらしかった。

「僕も彼奴らと一緒。自分に都合がいいからこの仕事してるんだ。軽蔑してくれていい」

魚崎の車はみるみるうちに赤い車へ迫っていく。あまり時間はなさそうだ。



熊田が初めて殺したのは、家族だった。何でそんなことをしたのか、熊田にはもうわからない。ぐるぐる考え続けるうちに、真実は闇の中へ熔けてしまった。ただあの日切った、チューブの感触だけがまだ掌に鮮やかだ。


――……仕事をあげよう。男は言った。
刑務所の面会室。知らない男だった。私だけが君の罪を肯定する、




路肩に赤い車は止まっていた。その前にもう一台車が止まっている。人気のない夕暮れの道。二人も車を下りて近づくと、車の影に三人が隠れていた。よう、兄弟。馴れ馴れしく虎谷が呼び掛けた。

「どうしようか、おにーちゃん?俺が殺る?お前が殺る?魚崎くん殺りたい?」
「僕は結構」
「あっそ」

依頼人は男だった。草臥れているが上物のスーツ。事業が失敗して、とかそんなのだろうかと推測し、悪い癖だと掻き消す。

「退け」

熊田は虎谷を押し退けて男に近付いた。男を押さえ付けていた鮫嶋も男から離れる。

「俺の好みじゃないから、おにーちゃんにあげるよ」

虎谷は笑って、赤い車に背を凭れた。鮫嶋がその隣に立つ。
男が熊田なら話が通じそうだと思ったのか、急に命乞いを始めた。金なら幾らでも出す、とかどうとか。
熊田はじっと男を見た。男は確かに生きたがっていた。目が、訴えかけてくる。
どうしてあの時俺はああも簡単に、人をころせたのかと思い、はっと思い当たった。そうだ、あの人は昏睡状態で、目を伏せていたから…


「……あんたが死んで、悲しむ人はいるのか?」

男は突然の質問に目をぱちくりさせた。しかしその質問に希望を見出だしたのか、男は目を輝かせ、意気込んで応えた。ああ、いるとも――……!熊田は笑った。羨ましいよ、と心の底から呟いた。