長い雨に閉ざされて、悪夢見て目を覚ます。
夢の中でも雨だったから、起きた時。俺は起きている自分をすぐには見つけられなかった。
天気が同じなら、場所だって同じだった。夢の中でも、俺は二段ベッドの下段で眠っていた。
それでも別に、予知夢なんか見たわけでなし。夢の中で見たものとは、決定的に違うことがある。
「…アカル?」
「ん。おはよう」
ベッドの縁に腰掛けて、暗い中見下ろしていたのはアカルだ。
酷い近視感。俺の頭の中を覗いたのか?と訊きたいくらいには似かよっていた。
アカルの手が伸びてきて、俺の前髪を鋤く。汗ばんでいるのが自分で判って何とも言えない。
「魘されてたけど」
「あー…」
「水飲む?」
「いや、いい」
「飲めば?」
「……もらう」
「うん」
俺はアカルに手伝われて、ベッドに上体を起こした。ぬるい水だった。雨の方がよっぽど冷たいだろうな、と思うくらい。
ぬるい水では頭をしゃっきりさせることもできず、ぼんやりしたままコップを返した。
アカルは俺からコップを受け取って頷くと、十人中十人がこの状況で訊くだろうことを訊いてきた。
つまり「どんな夢を見た?」って。
俺の言葉は一つしかない。
「――忘れた」
「魘されてたのに?」
「ああ」
「ふーん…」
アカルは詰まらなそうに呟くと、手を引いて腰を上げた。
コップを持ってアカルが視界から消え、梯子が軋む音がしてそれから静かになった。
礼の一つでも言うべきだったと気付いたのは、耐え難い睡魔に襲われてからだ。
―――いつかも言いそびれたから、死にたいくらいに後悔したのに。
それでも睡魔は無情にも迫って、意識を根こそぎに刈り取っていく。
頭上でベッドの軋む音がして、一度はっきりしかけてもやはり睡魔には抗えない。
だから。
「全部俺のせいだよ。恨んでいいよ」
だから、そう言ったのがアカルだったのか夢だったのか、それとも俺だったのか。
目覚めてから頭を捻ってみたけどよくわからなかった。
アカルが言ったなら何のことかわからないし。夢で聴いたなら妄想だ。
俺が言ったなら、誰に向けて言ったのかは決まっている。…それはアカルではないから、混乱させたなら申し訳ない。
まあ、そんなことより。
「アカルの野郎……」
目を覚ませば、時計はとっくに朝礼の時間を過ぎていたわけで。夢なんかよりこっちの方が重要だ!
アカルのやつ、俺のことを放り出して、自分だけさっさと出掛けていったらしい。そう言えばアカルは最近天井に頭をぶつけることもなくなった。あいつなりにこの生活にもう慣れたらしいが、俺を起こす必要は特に感じなかったようだ。
相部屋が連帯責任だとは言っても、そう言えばアカルがそんなもの気にするわけがなかった。
アカルに命令できそうなのはエズラくらいのものだが、エズラはあれで面倒くさがりだから。アカルを指導するのは面倒だと放っておくだろう。
…俺にとばっちりが来なければいいなあ。と、溜め息を吐いて身を起こした。
着替えるために寝間着を脱ぎ捨てながら、明け方に、俺は再び悪夢を見たのかも知れないなと思う。
寝間着はじっとりと汗ばんでいて、シャワーを浴びたかったがさすがにそんな時間はなかった。
のろのろと服を着替えて、部屋を出る。すると食堂へ向かうのと反対方向から、こちらへ向けて足音が響いてきていた。
――なるほど、遅刻。
同類か、と思う。どんな身分でも、よっぽどのことがない限りこの時間は朝礼に行っているはずだから。
せっかくだ、顔を見てやろうと俺は悪趣味なことを思いついた。
どうせ今から急いだって遅れている事実は全く揺るがないんだから…と言い訳しているうちにも足音はどんどん近付いてきていた。
俺に気づいたその誰かは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……げっ」
げっはないんじゃないかと思う。流石に傷付くわ。
「…何か」
今更冷静を取り繕って、一体誰が誤魔化されるんだよ!
「寝坊ですか大隊長」
「用がないなら失礼する。あと、元だ」
「元大隊長。ないけど」
「忙しいので」
「俺も忙しいからいいだろ?」
朝礼はとっくに始まっている。
「意味わかんねえよ!…じゃなくて、意味がわからない」
「何で言い直した」
「言い直してない」
「言い直しただろ」
「言い直したら悪いんかカス」
「意志弱いなお前…」
「うっせえ」
「何で苛ついてんだよお前…」
マキナはまたあからさまに嫌そうな顔をしながら、一応待ってはくれるようだった。
…面倒見の良い奴だな。話掛けるなとか言ってたくせに。と言うか、意志弱いな。
マキナは罰の悪そうな顔で寝癖を押さえ。
「…大隊長じゃないから、寝坊してもいいんだよ」
「そう言うもん?」
「西園寺が俺の代わりに頑張ってくれるだろ」
マキナは面倒そうに呟いて、耳の辺りを指先で掻いた。
全く、今日のマキナはしゃっきりしない。寝癖はあるし、着こなしも雑だし、どうやら帽子も忘れたようだ。
「何だよ」
とマキナが睨み付けてくるが、せっかくなので観察させてもらう。こんな格好で食堂に言ったら夢が壊れるって解らないのか『マキナ』元大隊長は?マキナは落ち着かなさげにまた首筋を掻き…って、えー。
「お前……そう言う寝坊…」
「は?…え、えっ、なに」
「うわあ」
「あ!?」
「それ」
俺はマキナの首筋を指さしてやった。しかし自分では見えないだろうので、しょうがないから教えてやる。
「キスマーク…もとい歯型」
「!!!」
マキナは絶句して首筋を押さえた。「あ、」何か言おうとしたらしいが、言葉にならない。
何だか妙に気まずかった。いや全く関係はないんだけど!
「風呂入った?」
「………入ってない」
「入ってくれば?」
「お…おう」
マキナは硬直したまま、くるりと踵を返した。するとふわりと匂いが漂ってきて、汗の匂いやらなんやかんや。
「…あれ?」
「何!?」
「あ、いや。行けば」
「……」
マキナは微妙な表情を浮かべて、やがてすごすごと引き返していった。
大隊長と言う職を離れれば、マキナはびっくりするぐらい表情豊かだ。『マキナ』でいるには相当の努力を要しただろうなあ、とか。
「って、」
不意に前方からざわめきが聞こえてきて俺は我に返った。
「うわー…」
どうやら朝礼が終ったらしい。…しょうがない。
エズラに一声かけておかないと面倒になるだろう、と俺は司令官室に足を向けた。マキナのことは気になるが、ただの野次馬。
扉に背を凭れて待っていると、やがてエズラが歩いてきた。エズラは俺を見付けて手を振る。
敬礼して返すと、「構わん」と笑われた。
「昨日はお楽しみか?」
「まさか。たまたまッス」
「たまたま?」
「…ちょっと寝覚めが悪くて」
「ふん」
エズラは頷くと、待ってろとばかりに手で制し、周りを見回した。人影がないのを確認してから、エズラは俺に向き直った。
いつもはきちんと梳かされている赤毛が、今日は少し乱れていた。
「俺は今ここで、お前を殴った。遅刻したから。いいな?」
「殴られました」
「行ってよし」
「…そんなんでいいんですか、司令官?」
「俺はお前を合法的に贔屓しているからな」
「どこの法だよ!」
「…嫌われきってないようで、安心したよ」
エズラは苦々しい笑みを浮かべて、俺の肩を叩いた。俺は茫然とエズラの掌の温度を感じながら、そんな一朝一夕で嫌いになれるわけないだろう、と呆れる。ならそう言ってやればいいのに、俺は何も言ってやることができない。
エズラはのろのろと手を離し、さびしそうな笑みで「それじゃ」と言って部屋に入っていった。
擦れ違う時にエズラの匂いがして、
「…え?」
先程出なかった声が今になって出ていた。
いや。関係ないんだが。誰がどうであろうと。誰と誰がどうであれ。
扉はもう閉まっていて、俺は動揺のぶつけ場所を見つけられない。
匂いって言うのは意外と記憶されるもので。俺の鼻が馬鹿じゃなければ、ちょっと、…え、嘘?
俺はさっきのマキナのように、硬直して絶句した。