マキナとシャワールームで別れて部屋へ帰ると、クロエは俺のベッドで勝手に寝ていた。その幸せそうな寝顔が妙に癪に触って、俺はクロエを蹴っ飛ばしてから初めて上段で寝た。上段はクロエの匂いがして妙に落ち着かなかったが、疲労のせいか、そのうちに眠りに付くことができた。
そして朝。俺は腰が痛くて目が覚めた。痛い腰を引きずって梯子を下りるとクロエはまだ寝ていた。先に起きるのも暇なので、揺すって起こす。クロエは本当に飛び掛かって来なかった。
「おはよう、クロエ」
「……珍しい。…もしかして、夢か?」
「黙れアホ。さっさと起きろ」
俺はクロエをベッドから引きずり出すと、入れ替わりにベッドに入って軍服に着替えた。
「…クロエお前、匂うぞ」
「青臭いよな…風呂行くわ」
クロエは上段に上がると、替えの軍服と下着を持って下りてきた。風呂をサボるからだ馬鹿め!
「朝飯に間に合えよ」
「言われなくても……ユーゴ」
「なに」
俺はクロエを半ば睨み付けながら続きを促した。クロエが躊躇うように首筋を掻いて、それから俺をちらりと見る。俺は噛み付くように、「なに」ともう一度訊いた。クロエが苦笑じみたものを浮かべて、手を伸ばしてくる。
「いってらっしゃいのキス――」
…簡単に避けられただろうそれを、敢えて避けなかったのは一種の後ろめたさのせいだろうか。だとしたら、クロエを受け入れておきながら、ついマキナにも手を出したことの――……?
クロエは俺の内心など到底知るよしもなく、数秒経って唇を離した。にやつくクロエに俺は釘を刺す。
「……昨日殺しておくべきだった。調子に乗るな…」
睨めつけて威嚇すると、クロエは慌てて出ていった。時計がなくて時間がわからないので、とりあえず俺は食堂に行くことにした。せっかく早起きしたらしいのに、遅刻しては意味がない。
……――窓の外を見ると、雨が降っていた。まだ小雨だが、酷くなりそうな予感がする。その天気にいつかのことが思い出されて、温い感傷を味わった。窓に背を向けても、俺は頭の中で、そのいつかのことを反芻していた――そしてふと、クロエが俺を好きな理由を聞きそびれたことに気付いた。
食堂にはもう、まばらに軍人が揃っていた。俺は入り口に一番近い、俺たち遅刻コンビの定位置に腰を下ろす。ぐるっと見回してみたが、話ができるような親しい知り合いはいなかった。…いつも一番乗りだと言う噂のマキナもいない。
暇をもて余しているとそのうちにクロエが来た。
「カラスの行水だな」
「軍人の数少ない美点だろ」
「湯船があれば俺は長風呂だけどねえ」
「湯船とか懐かしすぎて辛いな!最後入ったのいつだ…」
「出征前だから……あんま考えたくないな。虚しくなる」
「同意」
クロエは苦笑すると、腕時計で時間を見た。俺もそれを覗き込んで見ると、時間は朝礼の十分前。
「クロエ、マキナが来てねえんだよ。気付いてるか」
「お前、なんで呼び捨ててんだよ死ぬぞ…まじで来てねえな。事件か」
「湯煙殺人事件」
「風呂から離れろ!」
「マキナのことが気になるか」
『うおう!?』
俺たちが慌てて声の方を向くと、向かいの席にエズラが座っていた。エズラは二人の驚きように苦笑する。
「マキナは調子が悪いそうで、病欠だ。機械油でも切れたかな」
「珍しいこともあるもんだな…」
「意外か」
「丈夫そうだしな」
「一体どんな無茶をしたんだか」
エズラは俺を見て、にこやかに笑った。――もしかして昨日のもバレてる?内心冷や汗をかいたが、エズラはそれ以上何も言わず席を立った。そして颯爽と、エズラの定位置へ歩いていく。
「…ゴッドファーザーだっけ、お前の」
「うん」
「心臓に悪いわ…」
クロエは妙にエズラを恐れている。
「起立!」
俺たちはエズラの号令で腰を上げた。いつもは号令なんかないんだけどなあ、と俺は欠伸を噛み殺した。
「本日は伝達のあった通りに、西園寺閣下が来られている。閣下はこの宿舎内を見学なさった後、一泊して司令部に帰られるとのことだから、くれぐれも粗相のないように。それと皆気になっていることと思うが、我らが大隊長殿は今日いらっしゃられない。大隊長殿がいなくても、しっかり気張れよ!敬礼!」
ザッ、と敬礼の音が食堂に響いた。その音を合図にしたように、入り口の扉が開いて、男が一人入ってきた。
育ちの良さそうな風貌に仕立ての良さそうな服装。顔は少し、クロエと似ていた。西園寺コクト閣下だ。