訪問者が訪れたのは夕食後。部屋に戻って、何をするでもなく軽口を叩きあっていた時だった。

…あの後閣下が去ってから、数十分後にクロエは来た。一体どこで油売ってたんだか、と思ったがまあ好都合だったな、とも思った。……閣下と話したことをクロエには言えなかった。どんな言い方をしても、クロエを傷付けることになると思ったから。
だって、例え邂逅を免れられることを伝えても――その理由が死んだと思われてるから、なんて最低だろ?
だから俺は言わなかったし言えなかった。このまま閣下が明日帰ってくれさえすれば、何の問題もないんだから。



会話を遮ったのは突然のノックだった。どうぞ、と声を掛けると扉が外から開く。
其所に立っていたのはマキナだった。昨日のことを思い出して、俺は内心ぎょっとしたが、マキナはいつもの涼しい顔だ。…と言うか、病欠と聞いていたのに元気そうで驚いた。マキナは俺のことなど見もせずに、クロエに視線を投げ掛けた。

「西園寺クロエ。閣下のお呼びだ」
「………え?」
「俺はクロエに話している。黙っていろ」

驚愕の声を上げたのはクロエではなく俺だった。マキナに厳しい視線を向けられ、俺は慌てて唇を引き結ぶ。マキナは鼻を鳴らしてクロエに視線を戻した。

「武器は置いていくように。今すぐ行け。軍服に着替える必要はない」
「…………」
「聞こえないのか。これは命令だ」
「……はい、上官」

クロエはのろのろと、ベッドから腰を上げた。それまで俺たちはちょうど、閣下の話をしていた。西園寺閣下はクロエに会いに来たのではなく、本当に視察に来ただけなんじゃないか?とか。クロエはそう、期待したがっていたのに。
――と言うかこれは、どういうことだ?閣下はクロエを死んだと思っているはずなのに――と考えて、俺はエズラに思い当たった。
エズラが閣下に会った時に誤解を解いたのだろう。確かにそれは正しいことだし、クロエが閣下を避けたく思っていることは俺しか知らないんだからしょうがないと言えばそうだ……一瞬エズラを恨んだ自分を、俺は首を振って掻き消した。

「クロエ……」

俺は半ば絶望的な気持ちでクロエを見上げた。
クロエは明らかに無理に笑うと、行ってくるとだけ呟いた。
俺は一瞬手を伸ばしかけて――止めた。引き留めた所で、それからどうして良いのか俺には判らなかったからだ。……やっぱり、逃げる?…馬鹿な。


足を引きずるように部屋を出ていったクロエを見送って、マキナも部屋を出ていこうとする。俺は慌ててその腕を掴んだ。


「マキナ」
「何だ」
「どういうことだよ、これ」
「どうもこうもない。ただ、閣下が西園寺クロエを呼んでいる。それだけだ」

…そう言われると何も返せなかった。閣下の命令を掻き消すだけの力が、俺にあるわけもなし。……だからと言って、このまま見過ごしていいのか?――これは、俺のせいじゃないか?


「…て言うか、病欠じゃないのかよ。元気なの?」
「見ての通りだ」
「じゃあ何で休んだんだ?」
「お前には関係ない」

マキナはつまらなそうに鼻を鳴らした。それこそ機械のような、感情の篭らない声。昨日との変わりように驚愕する。

「――何か、あった?」
「何もない」
「あったんだろ。何だよ」
「関係ない」

機械のような声色に、僅かに感情が――苛立ちが篭った。それだけ言うと、マキナは俺の手を振り払って背を向ける。

「…ちょっと、待てよ――!」

俺は振り払われた腕をもう一度掴んだ。…どうもこのまま帰らせては行けないような気がした。
しかし俺は自分で呼び止めておいて、マキナが足を止めたことに酷く驚いた。てっきりもう何も言わず、俺のことなど無視して出ていかれるものと思っていたから。マキナは足を止めると、振り返って無表情に俺を眺めた。

訊かなければいけないことは山ほどあった。それも、どこから訊ねていいかわからないくらいに――……俺は何も知らないのだ。目の前のマキナのことさえ何もわからない。デウスマキナとして偶神化して、マキナのことなんか何も。

マキナはやれやれと首を振った。呆れたような笑みを浮かべて髪を掻き上げる。表情は優しげにすら見えたが……


「――一度抱いてやったくらいで付け上がるなよ。弁えろ――……貴様ごときが」
「……は?」
「ちょっと甘い顔をすればこれだからな。一体どれだけの男と寝てきたのか…恥を知れ」

そう言って笑うと、マキナは極めて丁寧に俺の手を外した。埃でも払うように俺の掴んでいた辺りを叩いて、颯爽と背を向ける――

「――ちょっと、待てって!」
「まだ何かあるのか?」

マキナは心底呆れたような声を出した。それに一瞬挫けそうになったが、俺は勇気を振り絞って疑問をぶつける。

「大有りだ!お前一体……」
「俺にもう構うな、と分かりやすく言おうか?――関係ない。最初から赤の他人だ。…もう、話し掛けるな」
「それ、どういう……」
「――話は、終わりだ」

マキナが手を伸ばしてきて、俺をぐいっと押しやった。俺は再び食い掛かりかけ――……やめた。去っていくマキナの背を見送りながら、奥歯を噛んだ。扉がバタンと閉じて、俺はついに一人になる。


昨日確かに人間に思えたマキナは、俺の前だと楽だと笑ったマキナは、ただの『マキナ』に戻ってしまっていた。まるで別人みたいに――…と言うか。

これまでの機械じみたマキナとも、昨日見たマキナとも、今日の彼は違うように感じた。
どこかわざと突き放したような言葉を発しているようにも聞こえたが、…ただの願望かも知れなかった。