「手を」
「…うん」

少し、申し訳ないなと思いました。

「痛いですか?」
「だいじょうぶ」
「そう」
「うん。全然…痛くないんだよ?」
「そうですね」
「…怒ってる?」
「――ええ、まあ」

そんな風に返したトキヤは、言われてみれば確かに怒っているようでした。いつも一本調子な声には、どこか独特の抑揚があるように聞こえるし、トーンも心無しいつもより低いみたいです。

おれはいまおこられているのです。

しまったな。どうしたらいいのだろう。
俺は向かいに座るトキヤの眉間のあたりを見つめて、途方にくれた気持ちになってみました。
トキヤの視線は、まっすぐ俺の掌の上に。包帯を巻く手付きは、視線と同じく真剣でした。

「わざとじゃ…ないんだよ?」
「はい」
「たまたま、切れたんだよ?」
「ええ」
「鉛筆を削ってたら、たまたま、怪我したんだよ?」
「そうですか」

…怒ってるみたい。うーん。いったい何がそんなに腹立たしいのかしら?

たまたま、鉛筆が削りたくなったのです。
たまたま、カッターがあったのです。
たまたま、手首が切れたのです。
たまたま、深い傷になりました。

ひどいぐうぜん!

「ねえトキヤぁ」
「はい」
「何を怒っているのです?」

俺は堪え性がないのです。見つめていた眉間にぐっと皺が寄って、俺は途方に暮れるのも忘れて、あっと声を上げました。するとその視線が一瞬俺を射て、またそれからすぐに落とされました。言葉もなく。俺もあっ、、の口のまま、黙っています。

「…………」

しばらく待ってみましたが。
沈黙は得意ではありません。ねえ…と呼び掛けたのを、聞こえないようにまだトキヤは黙っていました。相変わらず掌に落とされた視線を、掬うように。覗き込むと、顔を背けられます。「トキヤぁ」「…………」「ねーってば」

「貴方は――……どうして」
「えっ」

トキヤは小さく息を吐きました。止まっていた時間が動き出すみたいに、トキヤは包帯を巻く作業に戻りました。それはさっきよりも手早く行われ、俺が途方に暮れ直す暇もなく終わってしまいます。もう少し、眺めていたい気がしていたのですが。ざんねん。冷たい指先が包帯を撫でていたのも刹那。躊躇いのない手に引かれ、気が付けばその腕の中。

「音也…」
「うん」

望むのならば与えましょう。

「いいよ」

夢見るように目を伏せて、猫のように身を摺り寄せれば。
安堵した息が耳元に落ちました。すると突然、つきんとした痛みに目も眩みます。切れた手首だろうと思います。つきん、つきん。今は見えませんが。きっと次に翳した時には、白かった包帯は痛々しい赤に変わっていることでしょう。

皮膚をまさぐる指先は冷たく、まるで氷のようでした。
でも俺は知っているのです。
合わせた素肌の胸の向こうの心臓は、きっと炎みたいに熱いのでしょう。
目を細めてみたところで、それを見ることは叶いませんが。
瞼を舐めた舌が火傷しそうに熱いのも、きっとナカミがあたたかいせい。

熔かされてしまうような気がして、離れようと俺は身を捩りました。しかし、逃がしてくれる彼でもなく。あっさりと押さえつけられてしまいました。「苦しいから、やめてよう」「思ってもないことを」はい、どうでもいいのです。
押さえ込まれ貪られる中で、自分がばらばらになっていくようなのも。
その最中吹き込まれた吐息がどうしようもなくせつないのも。
『おかあさんのこと、どうおもってる?』
って訊かれるのとおんなじ。わかりません。だからどうでもいいのです。少し居心地が悪いのは確かですが、やっぱりどうでもいいのでした。

「トキヤ…ぁ、あっ」
「く……」
「……あ」

(眉間、が)

手を伸ばして触れても、トキヤは拒みませんでした。眉間から鼻筋をなぞって、唇。トキヤの無感動な目は挑むようにも見えました。ずきん、――ずきん。包帯がほどけて、彼の顔を隠すのを見ていました。暴力的な白の、それが―――白?ばかな…

「痛かったと」
「……ぁ?」
「…痛かったと言ってください」
「――ちょっと何で…え、泣くの?」
「泣きません」
「じゃあ――」
「言いなさい」
「なんで……」

そんな風に強いているくせに。
トキヤの方が俺より、よっぽど泣きそうな顔をしていました。俺が泣かしたみたいじゃないか!「言って」「…何で」いたくも、ないのに。ぜんぜん。まったく。ちっとも。すこしも…

俺はトキヤの皺の寄った眉間にキスを落とします。トキヤはまるで嗚咽のように息を吸って、吐いて。「――嘘つき」


かわいそうなものを見る目で、見ないで。