―――つかまえた。

獲物を肩に担いで、夜道を行く。人目につかないよう、わざと照明のない通りを選んで歩いた。
足取りは軽い。それが、狩りを成功させた高揚からくるものなのかは、私にはとても判別がつかないのであるが。担いだ獲物が、成人男性とは思えないほどに軽いせい、と言うのまずは間違いないだろう。

病的な軽さだ。担いだまま走っても跳んでも、困らないだろうくらいには痩せ細っていた。腰に回した手は、そのまま肋骨に触れているようにも感じる。骨と皮ばかりと言う表現がこれほど当てはまることもない。

照明はなくても、月はあった。猫の爪のような三日月。真っ黒い紙に穴を空けたようだ。人より夜目が効くとは言っても、月光はやはり有難かった。月光を受けて、足元に私と獲物、二人分の影が溜まる。さながら底のない沼のようだ――なんで気取ったことを考えるのは、私の仕事ではない。
そんなことを言わせたら、先導して歩くギルガメッシュの方が向いている。

「お前がそいつに入れ込んでいるのは知っていたが、それほどとはな。知らなかったぞ」

月光を弾いて光りながら、ギルガメッシュがからかうように言った。――アルテミス。…また柄にもないことを。

「いやはや、妬けるなァ――それで、それ、どうするんだ?まさか衝動的に、とも言うまい?貴様がよ」

なあ?とギルガメッシュは笑顔に振り返った。その視線は私と絡んだあと獲物に向いて、目配せとばかりに私に戻ってきた。
白磁のように白い肌に、月光が濃い陰影を落としていた。一枚の絵のようだと言えば、喜ぶか?いや、当然だと笑うのがこいつらしい。

「…お前なら、どうする」
「おいおい!それは何も考えていないと言うことだろうがよ!」

ギルガメッシュは驚愕の声を挙げて足を止めた。つられて私も、距離を取ったまま足を止める。
「おいおい…」ギルガメッシュは呆れ顔に振り返ったが、隠しきれてないぞ、唇は愉悦を湛えて吊り上がっていた。

「衝動的に拐われちゃ堪らんな。お前も酷い奴だ」
「かもしれん」
「開き直ったなァ、お前も。清廉潔白で敬虔なお前は何処に行った?死んだかな」
「…?私は生きているぞ」
「ものの例えだ。死んでも生きていられるのは、我ら英霊だけだ」

ギルガメッシュは誇らしげに笑うと、大股に距離をつめた。一歩詰める度に笑みは大きくなった。…何がそんなに可笑しい?
終いに私の正面に立ったギルガメッシュは、手を伸ばして私の獲物―――間桐雁夜、の髪を鋤いた。指の間を、くすんだ白髪が零れて光る。

「…我ならどうするか、って?決まっている―――風呂に入れてやる。こいつ、臭うぞ」




ギルガメッシュは部屋に入ると、我が物顔に私の寝台に寝転んだ。いつの間にかそこはギルガメッシュの定位置になっている、私のサーヴァントでもないのに。
仕方なく私は間桐雁夜をソファの上に横たえた。

「時臣師は」

今更だが。ギルガメッシュはあからさまに興味のない顔をする。

「知らん。今日は顔も合わせていない」
「そうか…」

間桐雁夜と時臣師を引き合わせるのは妥当でないだろう、とバスタブに湯を貯めながら思った。
そもそも私は一体、二人を引き合わせる危険を犯してまでどうして雁夜を拐ったのか?…思わず、としか言えない。
数時間前、暗い路地裏での邂逅。雁夜は私のことを知らなかったが、私は彼を良く知っている。

浴室から部屋に戻ると、ギルガメッシュが雁夜に馬乗りになっていて目を疑った。私に気付くと、ギルガメッシュは笑って手招く。
「見てみろ。面白いぞ」
ギルガメッシュは雁夜の左腕を持ち上げた。

「珍しい症状だ。間桐の魔術は趣味が悪いな」
「ああ…」
「左腕はこれではもう使えまい」

ギルガメッシュは雁夜の手を下ろすと、返す手でそのジッパーに手を掛けて、パーカーを脱がせた。すると左胸にも、腕と同じような醜い筋があって下半身まで続いていた。「ふむ」と掌でギルガメッシュはその筋をなぞる。しかし何か語ることもなく、今度は下着まで脱がせてしまった。筋は踝を越えて足先まで伸びている。これでは左半身は、あってないようなものだろう。ギルガメッシュは雁夜の身体を見分するようになぞった後、「なるほどなァ」とその上から降りた。

「早く洗ってやれ。臭くて敵わんわ」

ギルガメッシュは寝台に再び寝転んで、雁夜の方を顎でしゃくる。ああ、と雁夜を肩に担いで、去り際に気付いた。

「お前は良いのか」
「何故」
「臭いが移ったとか言いそうなものだ」
「貴様は我を何だと思っている?まあ……三人で入るには狭いさ」






浴室に入ると、バスタブは既にこんこんと湯を湛えていた。服のまま浴室に入って、蛇口を締めてから私は雁夜をバスタブに浸した。すると湯がさっと溢れて、袖口と裾を濡らしたがまあ、後で着替えればいい話だ。

今まで気絶し続けていた雁夜も、湯に浸されて、流石に違和感を覚えたらしい。目蓋が僅かに動いて、小さく唸った。雁夜が覚醒するまでには、更に数分。
緩慢に目蓋が持ち上がり、色の違う一対の目が、私を捉えた。

呆けていたのは一瞬。雁夜はすぐ表情を引き締め、湯の中の手を微かに揺らした―――サーヴァント!
私は咄嗟に雁夜の頭を、バスタブの中に押し込んだ。

「ガボッ……!!??」

右手の令呪が湯の中で歪んで見えた。腕は一瞬引き吊るように動き、頼りなく私の袖に絡まった。雁夜の足が暴れて水を蹴りあげる。私はもう肘までを湯に濡らしていた。苦しげな雁夜の表情も、水の中で歪んでいる。

「…!……ッ!!」

きっと全力を出しているのだろうが、こちらも全力を出す必要が微塵も感じられないくらいに非力だった。…自分の中に良く判らない感情が溢れてきて戸惑った。

苦しいのだろう、不意に一際激しく暴れだした雁夜の頭を更に深くへと押し込み、無意識に胸を押さえた。鼓動の速さに尚更戸惑う。

しかし私は、雁夜を殺したいわけでは決してない。私は頃合いを見て、雁夜を湯から引き上げた。
雁夜は突然の酸素に噎せ返り、押さえた指の隙間から薄桃色の水を吐いた。白い小さなものもバスタブの底に転げ落ちて、拾い上げると蟲だった。
―――間桐の魔術。

「…ッんなんだお前は!!??」

雁夜は私から逃げるように、バスタブの壁に背中を付けた。
威勢良く吠えながらも、水を飲んだのか時々深く噎せている。

「ただの神父だよ」
「ただの神父が民間人を拐うか!!」
「君はまだ民間人の気持ちなのか?」
「なん…!?」
「君の覚悟は、そんなものかね」
「…五月蝿い!」

雁夜は私を射殺すほどに睨んだが、再びサーヴァントを喚び出そうとはしなかった。
私がただの神父、と名乗った手前、手を出せないのかもしれない。美しいことだ。雁夜は屈辱げに表情をゆがめる。

「…何のつもりだ。こんな……何が面白くて、俺を」
「――風呂に入れたか?」

浚ったか?と訊かれている可能性もあったが。

「そうだ」
「……。臭うからだ」

…ギルガメッシュの受け売りだが。

そう告げると、雁夜は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。しかしすぐに
「…なるほど」
と小さく頷いて、諦めたような困ったような笑みを浮かべた。眉を吊り上げるよりは似合っている、と思う。

「怒らんのか」
「いやまあ。不愉快ではあるけど…判ってるよ。…暮らしてる場所が場所だし」
「そうか」
「いやそうじゃなくて!」
「?」

私はバスタブの周りを歩いて、シャンプーのボトルを取り上げた。人を洗ったことはないがまあ、何とかなるだろう。
ボトルを手に、バスタブへと近付く。

「お前俺の何を知ってる!!??何で俺を連れてきた!!??」
「かしましいな」
「答え―――……」

雁夜は言い掛けた口のまま、不意に動きを止めた。
何だ…と問いかけようとして、その前に気付いた。雁夜の縫い留められた視線の先には、シャンプーのボトルがあった。まさか、シャンプーが珍しい訳ではあるまい。
雁夜が仰視しているのはシャンプーを持つ私の、―――令呪だ。

雁夜の喉が痙攣するようにひゅうと鳴った。濃い殺気に背中がピンと伸びる感覚。

人がこれほどまでに怒るところを、私は初めて見た。雁夜は目を剥いて、髪を逆立てた。


「……き、さ、まああああああああ!!!!!!!」
「ッ…」
「マスターかッ!!!!!!!」

襟首を掴まれて、がくんと頭が揺れた。かと思うと返す右手で頬を張られて、衝撃の後に冷たさが来た。

「この野郎…!!!」

雁夜はバスタブの縁に手を置いてよろよろと立ち上がる。もう一度振りかぶられた右腕を、――二度目はない。
掴み上げると雁夜は苦痛げに眉を歪めた。

「放せ!!」
「放せばまた暴れるだろう」
「五月蝿い!」

雁夜は唾を飛ばしてがなり立てる。…五月蝿い。さてどうやって口を塞ごうか?

私は令呪は持っているが、アサシンは先日ライダーによって殲滅されたばかりだ。
つまるところ私はただの人間であって、もし雁夜が冷静になって、バーサーカーを呼んだなら私に勝目は一片たりともないのだが…

――などと、長い思考に陥っていたのが仇となったようだ。

不意に右腕の抵抗が止み、雁夜を伺えば彼は笑っていて――一体どこにそんな力があったのか―――

思いがけない強烈な足払いに、私は雁夜もろともに、バスタブへと倒れ込んだ!


「…ざまあみろ!」

雁夜は荒い息に裸の胸を上下させ、してやったりと笑う。

「…………」

私は鼻先も触れそうな距離にある笑顔を見つめて、黙り込むことしかできない。

倒れ込んだバスタブは、雁夜が暴れたせいで半分ほどまでも水嵩を減らしていた。
温度だって疾うに下がって、湯と言うよりはもう水に近かった。そんなバスタブに浸されて、このままでいては、この季節、風邪を引いてしまうだろう。

…雁夜の方も寒いのか、裸の肩が小刻みに震えていた。それでも意志のある右目は、浚うように私を射抜いたまま、

その身体は、服の上から見た時よりも更に華奢に見えた。浮かび上がった肋骨が痛々しい。
肌の上を伝い落ちる雫の一滴までが見える距離―――……

「…さ、」
「あ?」

不機嫌な声を発した唇が、紫に濡れて光っていた。顔に貼りついたぱさぱさの髪が、雁夜をなおさらみずぼらしく見せていた。
みっともない、と言ってもいい。無様と言えばそうだ。十人中十人が、雁夜を見て目を逸らすか不愉快な気持ちを抱くだろう。
なのに、私はどうして、こ、れ、が、 こんなに、欲しいんだろう?

「何だよ」
「…寒い」
「は?」
「寒い」
「あ――ぇ、ちょっ…んッ!!??」


ただしその唇は、期待したほどに温かくはなかったが。

「ん、…んっ!?」

逃げようとした雁夜の頭が、バスタブにぶつかって派手な音を立てた。掴んだままの右腕が逃れようともがいたが、その抵抗も微々たるものだ。

唇は乾燥しているのか、舌先でなぞると皮の味がした。
人の唾液は甘いと言うが、雁夜はどちらかと言うと粘ついて、苦かった。
歯列をなぞり、舌を絡め、唇から溢れた唾液を啜る。

「…ふ、……」
「ぅ――…や、め…ッ!」

逃げる舌に追い縋りながら見た表情は、動揺と嫌悪と怒り、それと僅かな快楽がないまぜになっている。
再び暴れだした足の間に割って膝を付き、右腕で左足を抱えあげると、膕にまで醜い痣はあった。
血が滲むほど爪を立てても、雁夜は呻き声も挙げない。ただせめて瞼は伏せてたまるかと、精一杯私を睨みつけていた。

「…本当に、感覚がないのか」
「んッ、――な…?」

再び雁夜の唇を塞いで。下から上へ、太股から下腹部の丸みを通り、肋骨を一個一個辿って薄い胸までを掌でなぞった。
こうあれば、四肢はあってもないのと変わらない。