18回目の誕生日は彼と二人きりで迎えることになっていた。

僕の世界がたった二人だけのものになって、はじめての記念日。だけど何か盛大なパーティでもするわけじゃない。

「誕生日おめでとう」も何もなく、「行ってくる」とだけ言って出かけた彼を送り出して、それから僕はじっと置物のように待っていた。
これだけ聞けば誰か僕に同情したり、彼を不満に思ったりするのかもしれない。けどそう口に出して言ってくれる人も、僕の周りにはもういないのだ。


―――時計は既に8時を指していた。いつもは夕食前には顔を見せる彼が今日に限って妙に遅い。
夕食を作るのは何時の間にか僕の仕事になっていて、僕はどんどん冷えていく夕食と、時計を代わる代わる見つめながら割と途方に暮れていた。


一人で過ごす時間と言うのは、それ程嫌いではなかった。
日中から閉じたカーテンの隙間から、外を眺めているだけで時間は過ぎる。
今では多分、前からこの部屋に住んでいる彼よりも、僕の方が近所のことに詳しいだろう。――どこにどんな人が住んでいて、どんなふうに生活しているか。
きっと彼は興味がない。僕に取ってそれはとても面白いのに。

そして夜になれば。僕は星を眺めて待っていた。星についての知識は、兄と清史郎が僕にくれた。――晃弘。星を見に行こうよ!

「…今から?もう9時だよ」
「9時だから!星は夜じゃないと見れないじゃん!」
「門限をとっくに回ってる。校則違反になる」
「だからこっそり行こう!」
「どこまで?」
「―――屋上!」

あれは確か冬のことだった。
その日は雲がかかっていて、満天の星空とは言い難かったが、それでも山の上の澄んだ空気は十分に僕らを魅せてくれた。

星を見ながら、清史郎と僕はいろいろな話をした。大抵は星の話だった。後は清史郎の最近の冒険譚。僕はただ耳を傾けているだけで良かった。

今も僕に取ってそれは変わらない。彼自身は無口なつもりで、話すのが嫌いなふうでいるけれど、本当には話すのが好きなのだろうと僕は思う。
僕は楽だ。耳を傾けているだけでいい。僕は話すのが得意じゃないから。僕はからっぽになったが満たされていた。


…隙を持て余して、僕は窓際に立った。窓枠に身を預け、カーテンの隙間から外を伺った。
都市の空気に煙られた四角い空。車のヘッドライトが大きな星のようだった。それは流れ星のように幾つも通り過ぎて行ったが、僕は祈ることはなかった。
満たされた僕には祈ることがない。「星に願いを」はしらじらしい。
そして僕は、何かを綺麗だと思う方法を、すっかり忘れてしまっていることに気付いた。幾千の星は夜空に空いたただの穴だ。清史郎と見た星はあんなに綺麗だったのに…
僕はそっとカーテンを塞いだ。

すると、それを合図にしたかのように、ピンポン、とチャイムが鳴った。
チャイムは立て続けに、二回、三回、四回。仕上げとばかりにドアがガンガンと蹴られた。

「――晃弘、寝てるのか!」
「……。津久居さん?」
「そうだ。早く開けろ」
「鍵を持っているでしょう」

僕はこの玄関の戸を開けたことがない。それどころかドアノブを握ったこともないかも知れなかった。僕も彼もそんなことは望まなかったからだ。

「…両手が塞がってる!早くしろ!」
「はい」

僕は重い腰を上げて玄関に向かいながら、見上げた時計は9時を過ぎていた。近頃の僕の時間感覚はまた酷く曖昧だ。一体いつのまに一時間経ったんだろう?

扉を開けると、案の定、暗がりに息を切らした津久居さんが立っていた。両手に重そうな包みを抱えている。
津久居さんは不機嫌に僕を睨んで、僕を押し退けて部屋に上がった。おかえりなさいも言わせてもらえない。
不機嫌にさせたのはきっと僕だ。理由を聞きたい気もしたがどうでもよくもある。近頃の僕は優柔不断だ。
僕は部屋へ戻る。――鍵を掛けて。

津久居さんは靴を脱ぎ散らかしてリビングに立っていた。コートをぞんざいにベッドの上に打ち捨て、抱えていた荷物を覗き込んでいる。それから僕の視線に気付いて、眉を顰めた。
僕は慌てて目を逸らした。津久居さんが尚更不機嫌になるのを何となく空気で感じる。

「…夕食は」
「食う」
「温め直します」
「そのままでいい。座れ」
「はい」

僕は上げかけた腰を下ろした。今の僕の絶対が彼で。
視線を向けると、まるで検分するような視線が突き刺さった。何か彼の逆鱗に触れただろうか。そう思うと悲しかった。

「晃弘…背が、」
「はい?」
「また伸びたんじゃないか」
「そうですか?そうかもしれませんね。節々が痛いから」
「そうか」

それから津久居さんは、僕のわからない理由で少し笑った。何だったんだろう?
ひとしきり笑った津久居さんは、重そうな包みを開いてその中身を見せた。

――模型だ。船の。組み立てるタイプのボトルシップらしい。


「…カティーサークって船だ。酒の名前にもなってる」
「ええ。知ってます」
「――どんなふうに?」
「もう沈んだ船だって――兄が。それ以上は」
「…………」
「模型なんてものがあるんですね。すごいな」
「…そうだな」

もう一つの包みは酒だった。瓶には同じく、カティーサークと書かれている。

――自分の家で酔いつぶれる人を僕は初めて見た。

誰かの家で、誰かが酒を飲んでいるのを見ることも津久居さんしかいないけど。
確かこの人は、明日も仕事だったはずだ。いったいどうするつもりなんだろうか?


津久居さんの呼吸が薄くて、僕は死んでいるのかと思った。僕は床を軋ませて立ち上がる。彼ほどではないが、飲んだウイスキーのせいで視界はぐらぐらと揺れた。僕はまだ未成年のはずなのに。…未成年のはずだ。今日はここにきて、初めての誕生日のはずだ。僕が狂っていなければ。

僕は彼の側に屈み込むと、その唇に耳を寄せた。…息をしていた。

「…津久居さん」

返事はなかった。僕は不満には思わない。
望むのは傷付くことにとてもとても近いと、僕は身をもって知っている。僕はせめてもと津久居さんに語りかける。

「ねえ、津久居さん。今日は僕の誕生日だったんです」
「…………」
「さっきの模型は、プレゼントだったんですか?」

返事はない。僕は津久居さんの頬に、そっと手を触れてみた。僕が津久居さんに触れられるのは、津久居さんが眠っている時だけだ。きっと彼は嫌な顔をするだろうから。
彼に触っていいのはどんな人だろう?少なくとも僕ではない。

「今日は何をしてたんですか。もしかして、買い物に行ってたから遅くなったとか…」
「…………」
「なんであんなもの買って来たんですか?僕に何か、関係があったんですか…?」

曖昧な記憶のどこかで、僕がそんなことを頼んだんですか?
…思い出せないです。すいません。
こういう時だけは、崩れていく自分が呪わしい。どんどんおかしくなっていく自分を目の当たりにする。

…僕はちゃんと息ができている?息の仕方を忘れていない?これは現実か?
夢ならいいとは、思ったことはない。あなたは思いますか?僕を捕まえたこと、まだ後悔していませんか?


「津久居さん、僕は…あなたが死んだらおかしくなってしまう。今よりもっと。多分間違いなく」
「…………」
「あなたがいなくなったら壊れます。その前に、殺してもいいですか?大きな石で…あなたの頭を…」

がちゃん!

「あなたの命を僕が、もらってもいいですか?駄目ですか…」

何だかおかしくなって、僕は津久居さんの隣に寝転んで笑った。目を伏せればすぐ微睡は訪れる。次に目を覚ますのはいつだろう。明日かな?


いつか、僕も彼も死ぬだろう。津久居さんが本当に帰ってこないこともあるかもしれない。
僕と言う弟を模したおもちゃに、津久居さんが飽きることもあるかもしれない。そうなったらとても悲しいと思う。そうならないためには僕はどうしたらいいだろう?
…ああ、明日からまた考えることができた。これで当分の間は退屈しなくて済みそう。あなたのことをもっと考えていたいのに、あなたが与えてくれることはあまりに少ないから。

「ありがとうございます、津久居さん」

最高の、プレゼントです。