※ジュリオBADEND後



目が覚めたら泣いていた、と言う経験をしたことがあるだろうか。どうしようもない哀しみに胸を塞がれて目蓋を開けば、枕を濡らしていたと言うような。

『ないなあ』

とあの人は言った。いつの間にか一緒に暮らすようになって、俺が泣きながら目を覚ました朝。ベッドの縁に腰掛けて俺の頭を撫でながらあの人は。

勿論俺は、どんな夢を見たかなんて覚えてやしないのだ。哀しくて哀しくて涙が止まらないのに、不可思議な罪悪感に囚われて死んでしまいたいほどなのに。


『そんなに気にすることねえよ』

とあの人は都合の良い言葉をくれる。そんな朝は、あの人の膝に縋りついてまた少し寝て、多少すっきりした頭で起き上がるのだ。腫れた目元を水で洗い流して隠れ家を出て、俺は徒歩でホテルへと向かう。ホテルはアレから数ヶ月経った今でも、CR-5の事務所のように使われていた。ホテルに取っては迷惑なことこの上ないだろうが、こっちに取ってみれば中々都合が良いようだ。

エレベーターで最上階に上がれば、数人の黒服たちが忙しく動いているのが見えた。黒服たちが俺に気付いて頭を下げるのに手を振って返して、俺はボスの部屋に入る。
すると窓際に立って、景色を見ていたらしいお爺様が振り返り、俺を見て眉をひそめた。「遅い」と言う微かな呟きに頭を下げて見せながら、デスクの前へ歩み寄る。窓から離れ椅子に腰掛けたお爺様が、俺に数枚の資料の束を投げて寄越した。見様に寄っては、履歴書のようにも見える資料だ。「行け」とお爺様が顎をしゃくったので部屋を出て、エレベーターで降りながら軽く資料に目を通した。


「B・オルトラーニ…I・フィオーレ…L・グレゴレッティ……」

聞いたことのある名前だ。そのうちにエレベーターが一階に着いたので、俺は資料を閉じた。最近では、残党狩りが専らの俺の仕事だ。
お爺様に資料を渡されたと言うことは、今回もソウ言うことなんだろう。



駐車場に向かうと、一台の車の側で数人の黒服が待っていた。見たことのある顔だ。どこで見たんだったかと思いながら促され車に乗ると、車はすぐに走り出した。
運転席と助手席に黒服は座っている。後部座席に座った俺はバックミラー越しに二人を眺め、――ああ何のことはないと気付く。ただのボンドーネの私兵じゃないか。CR-5風にスーツなんか着てるからややこしいのだ。下らない――俺は息を吐いた。「どうかなさいましたか」黒服が声を掛けてきたが無視する。窓の外を景色の流れるのを見ながら、俺はナイフを弄った。




『――裏切り者』とか
『恥知らず』とか
『ファンクーロ』だとか
『ケバッレ』だとか。




言われたような気がする。行きとは違って自分で車を運転して、俺はホテルへ戻った。エレベーターでまた最上階へ上がり、部屋に入ればデスクに座っていたお爺様が顔を上げる。俺はデスクの上に資料でくるんだそれらを放り出すと、立ったまま見分を待った。「私兵はどうした」と訊かれたので、「死んだ」と言う。お爺様は僅かに眉をひそめ、それから資料の包みを開いた。包んだ張本人である俺は、その中身を知っていたが。お爺様の反応が見たくて、俺も一緒になって手元を覗き込んだ。

「おお……!」お爺様がソレを見て、感嘆の声を上げた。お爺様は震える手を伸ばして、頭を撫でてさえくれた。久しぶりのことに思わず頬が緩む。「自慢の孫だ」とかなんとか―――

包みの中には耳が三枚。そのうち二枚はピアスをしている。お爺様は耳を包み直すと、嬉しそうにどこかへ電話を掛け出した。話は終わったようなので、俺は部屋を後にする。
聞いたことのあるような名前の人物たちの耳は、やはりどこかで見たことがあるような気がしたが、良くわからなかった。




来た時と同じように歩いて家に向かいながら、俺はデイバンの町並みを眺めていた。この町も、少し前と比べれば多少変わったような気がする。――少し、雰囲気が悪くなった。昔はもっと、治安が良く、明るい町だったような気がするんだが。どこか感傷的な気持ちになりながら、自分だけ取り残されているような気分をも覚えていた。
俺はついつい早足になって、駆け込むように家に入った。慌ただしく後ろ手に鍵を閉め靴を脱ぎ、部屋に飛び込んであの人を探す――ベッドの上にもキッチンにも、あの人はいなかった。俺はもう涙を浮かべながら、半狂乱になって部屋の中を引っ掻き回す。クローゼットにもベッドの下にもあの人はいない。今朝は確かにいたのに。あの人が俺を置いていくはずがないのに――……

目蓋が熱を持っているのを感じながら、俺は不意に思い出した。今はもう夏じゃないか、こんなところにあるわけない。俺はバタバタと冷蔵庫へ走り寄った。恐る恐る持ち手に手を掛けて、冷蔵庫の扉を開け――

「――…ああ、ここに居たんですね……ン、さん」

愛しい名前を呼びながら、俺はソレを胸に抱いた。夏場はそうだ、腐ってしまうから。動揺で汗ばんでいた体に、冷えたソレが気持ち良かった。
俺はホッと息を吐くと、アイスクリームの隣にソレを戻した。夏は嫌だな、早く冬が来ればいいのにと思う。

「おやすみなさい」



――翌朝目が覚めれば、また涙が枕を濡らしていた。また何か、哀しい夢を見ていたような気がする…それとも、楽しい夢かも。だからこんなに、引き裂かれるような痛みを感じているのか?
俺はベッドから下りると、体を引きずるようにして冷蔵庫の前に膝を付き、その扉を開けた。その間も涙は止まらず、付いた膝にポタポタと滴り落ちている。
「…く、」と洩らしそうになった嗚咽を奥歯を噛んでやり過ごし、俺は冷蔵庫に手を差し入れた。
脆くなったソレに触れるには、中々注意がいる。そろそろ、限界なのかも知れなかった。お爺様に頼んで、なんとか加工して貰った方が良いのかもしれない…冷気に乾燥した肌と、黒ずんで色の悪くなった唇。髪だってまるで粗悪な人形のように手触りが悪い。それでも、どうしてこうも――……


「ッく、ぅ――あ、ああっ、あ……うう、ジャ、ン……!」

まるで握り締められてでもいるように、心臓が痛みを発していた。熱い涙で濡れた頬が、すぐに冷蔵庫の冷気で冷やされる妙な感覚。
「俺はなんてことを」とか「ごめんなさい」とか唇が勝手に囁いているが、その意味が俺には全くわからなかった。まだ寝惚けているのかもしれない。ベッドに戻ってもう一眠りした方が良いんじゃないか?と思ったが、立ち上がろうにも体が言うことを聞いてくれなかった。

(貴方のことを確かに愛していたように思うのに)

(どうしてこうなってしまったのか)

(貴方を喪えば、生きていけないようにすらおもったのに)

何の話だ?あの人は今もここにいるじゃないか。今指で触れているそれが正にソレ――で、何が違うと言うのか。


「ッ―――!?」

ズキン、と頭が割れるような激痛が走って、俺は床に倒れ込みそうになった。しかし何とか冷蔵庫の縁を握って持ちこたえ、扉を開けっぱなしのままやっとこさ冷蔵庫から離れる。荒い息を吐きながら仕事用のスーツのポケットに手を突っ込んで、あの白い粉を口の中にぶちまける。

「ぅ、く……」

粉が乾いた口内に貼り付いて、噎せそうになりながら無理矢理それを嚥下する。再び頭痛に追われて膝を付き――しばらくすれば、世界は酷くクリアーになった。よろよろと立ち上がり、振り返れば――

『おはよう、ジュリオ』

いつも通りの笑みを湛えて、いつも通りにあの人が立っている。なんのことはない愛すべき日常。俺は喜びの涙を流して、「おはようございます」と返した。

ほら、世界はかくも、今日もHAPPYじゃないか。