婆ちゃんの話を聞いた後、俺は二階へと階段を登っていた。二階にある俺の部屋へと。

話が終わった後、みんなは散り散りばらばらにどこかへ行ってしまっていた。
誰かを追い掛けて、東江のこと、この街のこと、婆ちゃんのこと、俺のこと…色々話したい気もしたけれど、その気持ちより、もう部屋で休みたい気持ちが優っていた。

…頭が痛い。まるで脳味噌に直接針を打ち込まれているみたいだ。

「…っつつ…」

登っているうちにも、足元の段差が歪んで落ちて行きそうになる。

「…何だよ。これ…」

いつもと比べ物にならないほど、酷い頭痛だった。

俺の頭痛…もう何年も前から度々苦しめられてきたこの頭痛が、俺の、【力】それのせいだとついさっき婆ちゃんから初めて聞いた。
これまで婆ちゃんから処方されていた薬は、頭痛薬ではなく俺の力を抑えるためのものらしい。

そんな荒唐無稽な話。信じられるものじゃないはずなのに、俺は力の恩恵に度々預かっているのだから、疑うこともできない。

「くっそ…」

俺はふらつく足を留めて、階段の手摺に凭れた。頭を自分でそっと揉むと、痛みが多少マシになるような気もする。
きっと頭痛は力のせいなんだろうけど、多分ない頭で変に考えすぎているせいでもあるだろう。

「蒼葉の脳は成人男性と比較して…」

蓮の真似をして気を紛らわせると、俺は続く階段を上がった。



「…あれ?」

部屋に入ってコンマ数秒。俺は自分の殺風景な部屋に、見慣れない色彩を見付けて立ち竦んだ。
俺がいつも寝転んでダラダラしているベッドの上に、真っ黒なパーカーの背中を見せて誰かが寝息を立てていた。

俺の部屋に、誰かの呼吸が紛れ込んでいる。それは何だか居心地が悪かった。

「誰だよ俺のベッドで…」

頭痛も合間って、いつも以上にイライラしていた。出しっぱなしの荷物の隙間を縫って、ベッドの前に立った。…誰だよ。

「おい」
「…………」
「おい…」

俺はその肩に手を乗せると、力を籠めて揺さぶった。誰かが小さく呻き声を挙げる。誰の声だっけ、これ。
揺さぶり続けていると、やがてそいつはこちらに寝返りを打った。

赤っぽい茶色の髪が俺の布団の上を流れている。ゆっくりと開いた目蓋には涙が滲んでいた。
――左目の下のティアドロップ。俺は目が点になった。

「…ミズキ」
「蒼葉…」
「ミズキ!!!」

そうだ、こいつのことをすっかり忘れていた!俺は頭痛も忘れて部屋を走り出て階下へと叫んだ。

「婆ちゃん!ミズキが起きた!!」




ミズキは俺にあのゴミ焼却場でスクラップを受けた後、一度は目を覚ましたけど、また深い眠りに落ちていた。
ドライジュースの他のメンバーは近くの病院で入院している。みんな昏睡状態にあるらしく、医者曰く一体いつ目覚めるかわからないということだ。

ミズキも本来なら入院する立場なのだが、どうしても心配で俺の部屋に連れ帰っていた。一度目を覚ましたなら大丈夫だろう、と婆ちゃんの太鼓判もいただいたし。
まさかこんなに早く目が覚めるとは思っていなかったけど。


ミズキが起きた後、俺たちはさっきしたのと同じ話をした。

俺のこのスクラップという力について。東江の暴虐について。ミズキの巻き込まれたモルヒネのことも…

どこかへ行っていた四人も戻ってきてまた席に着いていた。
四人と俺と婆ちゃんと、俺たちのオールメイトと。みんなに囲まれた中で、ミズキは深々と頭を下げた。反応したのは俺と婆ちゃんと紅雀とクリアくらいで、ミンクとノイズは真顔に黙っていたけど。

「おいミンク、ノイズ」
「蒼葉、いい」
「でも…」
「いいから!」

ミズキは渋る俺の肩を叩いて苦笑する。そうされると俺は何も言えなくなって、立ち上がりかけた椅子に座り直した。でも収まりが付かなくて、俺はミンクとノイズを黙ったままじっと睨んだ。
嫌な雰囲気だ。紅雀が俺を見て苦笑する。

「紅雀には関係ないだろ」
「酷いな。なかねーよ」
「…ごめん」
「いや、いいけどよ。お前落ち着けよ」
「落ち着いてる」
「何苛立ってんだ?何がそんなに気に食わねえ?」
「別に…」
「おい」

別に苛立ってない。と紅雀に言うより早く、ミンクが俺たちの間に割って入った。
椅子が壊れそうなほどに踏ん反り返って煙管を噴かしている。その視線は俺ではなくミズキへと向いていた。

「懺悔も感謝も聞きたくねえな。お前は何が出来る?」
「ミンク!ミズキは…」
「黙ってろ」

ミンクは俺を見もせず言った。それにまたカチンと来る。

「ミズキはさっき起きたとこなんだぞ!変なこと言うのやめろよ!」

立ち上がって怒鳴りつけると、ミンクが俺に煩そうな視線を向けてきた。俺はミンクを睨み返す。ミンクは煙管を裏返して湯のみに灰を捨てた。

「えらく肩を持つな」
「は?」
「俺はそいつと話をしてる。黙ってろ」
「でも…!」
「蒼葉、いいから。な?」
「ミズキ?!」
「ミンク、だったか」

ミンクは再びミズキに視線を戻した。
強い視線。ミンクが促すように顎をしゃくった。ミズキは視線を受け止めて、口を開く。

「…俺に出来ることって言ったら、そんなにない。ちょっと喧嘩が出来るくらいだ。ドライジュースはなくなったみたいなもんだし。けど、出来ることがあれば何でもやりたいと思う。謝って許して貰おうなんて思ってない」
「そうか」

言わせておいて、ミンクは興味なさそうに返事をした。また文句を言いたくなったが、なんとなく。本当に何となく。空気が和らいだような気がしたから黙っていた。
…ノイズは相変わらず黙ったままだけど。ライムとリブにはやはり超え難い溝があるらしい。
俺は、スクラップで見たミズキのことを思い出していた。俺はミズキになんて声を掛けたんだっけ……


まるで俺が思い出すのを邪魔するように、コイルの着信音が鳴り響いた。どうやら俺のものらしい。

「…ちょっとごめん」

俺は椅子を立ってリビングから出た。
着信画面には「ウイルス」と名前が表示されている。

『蒼葉さん?私です』
「ウイルス!ミズキが起きた!」
『それはそれはおめでとうございます。一緒に喜びたいところなのですが、今は事情が事情でして…警察が貴方の家に向かっています。お気を付けて』
「え?」
「蒼葉!」
「今電話中…ってえっ。…切れた」
「蒼葉!!」

リビングから顔を出したミズキが、コイルを覗き込んだ手を引っ張った。よたよたとリビングに引きずりこまれて、俺はやっとウイルスからの電話を理解した。


『テロリストども!!出てこい!!瀬良垣蒼葉とその一味ども!!いるのはわかってるんだーーーーー!!!!!!』
「悪島!?警察!?テロリスト!?それどこ情報!!??」
「何言ってんだいバカ孫!早く靴履きな!逃げるんだよ!」
「わわっ…」

俺は婆ちゃんから投げ付けられた靴を後ずさりして何とかキャッチした。今は夜なのに、朝の光のようなパトカーの光がカーテンの隙間から注いできている。

『出てきて降伏しろーーーー!!!!してもしなくても死刑だけどなーーー!!!ハッハッハッハーーー!!!!』

見回した室内にはミンクとノイズはもう居らず、どうやらさっさと逃げて行ったようだった。
クリアと紅雀も、ちょうど今羽賀さんとヨシエさんに背中を押されて勝手口から出て行ったところらしい。なら後は俺とミズキだけだ。

「婆ちゃんは!?どうすんの!?」
「あたしを舐めてんのかい!警察なんか追い返してやるよ!ほら早く行きな!」
「でも…」
「蒼葉!行こう!」
「ミズキ…!」
「ほら!」

差し出された手を掴んだ刹那。ミズキは俺を引きずって走り出していた。
外へ飛び出して、勝手口の扉が閉まると同時に、警察が乗り込んできた気配がする。

「ミズキ!婆ちゃんが!」
「大丈夫だ!きっとすぐ俺たちを追って来る!」
「それ大丈夫なのか!?」
「ははっ!俺たちは大丈夫じゃないな!」

ミズキは舌を噛みそうなスペースで走りながら、俺も知らない裏道をするすると駆け上がって行く。
この地区を縄張りにしているだけのことはあった。俺は着いて行くのが精いっぱいだ。

「ミズキ!ちょ、コイル!コイルなってる!」
「誰?緊急か?」
「わかんねえ!止ま、止まって!」
「了解!」

ミズキは薄暗い路地に飛び込むと、足を止めて俺の手を離した。俺は壁に手をついて盛大に息を整えているのに、ミズキは僅かに息を切らしているだけだ。
流石はここいらで一番大きなリブスティーズのリーダーだな、と思う――

「――メール?蓮、これって…」
『あのゲームアプリのようだな。自動再生のようだ』

蓮が言い終わるよりも早く、画面上にこれで三回目の、あのゲームが表示されていた。2Dの世界を2Dのキャラクターが動いている。ミズキが俺の手元を覗き込んだ。

「蒼葉、これは?」
「どっかから勝手に送られてくるんだ。これで三回目。なんか予言みたいでさ。前はおばあさんのアバターがコウモリに攫われるゲームで、そしたら婆ちゃんが…あ」

――しまった。しかし時既に遅しとはこのことで、言わずとも察したらしく、ミズキは表情を固くした。
婆ちゃんを攫ったのはここにいるミズキ本人だ。ミズキに何が起こったかはスクラップで聞いているが、それについてミズキと現実で話したことはまだなかった。

「…つまりこのメールは東江から来てるのか?」
「わからない。けど、そうかも知れない」
「そうか。…ん?これは?」
「え?…『プラチナ・ジェイル招待状』?」

何時の間にかゲームは終わっていて、画面には『プラチナ・ジェイル招待状』と書かれた画像が表示されている。

「プラチナ・ジェイルってあの、プラチナ・ジェイル?」
「じゃないか?蒼葉様って書いてあるな」
「…どう思う?」
「罠だろうな。これが本物だとしたら」
「だよな…」
「でも行くんだろ?」

画面から視線を上げて、ミズキがニカっと笑った。俺もコイルを握り締めたまま顔を上げる。

「ああ!…って、ミズキ」
「ん?」
「…もしかして着いてきてくれるのか?」

モルヒネの一件のせいで、ミズキは本当なら入院しなければいけないくらいに、心も体もボロボロのはずなのに。
おいおい、とミズキは肩を竦める。

「何だ?足手纏いか?」
「いやいや。そうじゃなくて…」
「冗談だよ。…俺に出来ることがあるならやらせて欲しい」

ついさっき、ミズキがミンクに言っていたことを思い出した。

「…わかった」

頷いた俺の肩にミズキが手を乗せる。

「ありがとう」
「ああ。でも具合が悪くなったら…」
「わかってる。迷惑はかけないから」

それから二人で拳を合わせて笑った。昔からやる親愛の挨拶みたいなものだ。それじゃあ行くかと体を離したタイミングで、またコイルが着信を告げた。
羽賀さんからのメールだ。メールに添付された画像には、羽賀さんの言っていたプラチナ・ジェイルへの通路が表示されている。警察が来ていないのを確認して、俺たちは路地裏を駆け出した。



「それでは蒼葉くん、気を付けて」
「ありがとうございます。羽賀さんも」
「ありがとう。絶対に死んではいけませんよ」
「はい。そのつもりです」

羽賀さんが言っていたプラチナ・ジェイルへの通路と言うのは、もとはプラチナ・ジェイルを建設する際の運搬用通路だったらしい。護身用に改造されたスタンガンを羽賀さんから受け取って、俺たちは地下道に身を滑らせた。

そして暗い中を進んでいくと、しばらくして真っ白なエントランスに出た。
そこにはマスコットキャラらしいパンダが一匹。
パンダの指示に従って、ゲートの横にある認証モニターに俺のコイルを翳すと、ゲートはゆっくりと開いた。つまり送られて来た招待状は本物だったってことだ。いよいよ罠くさい。


「…っておい。何やってんだよ」

こっちはもう今にもゲートをくぐろうとしてるってのに。振り返るとミズキはパンダと何やら話し込んでいた。しばらくじっと見つめていると、ミズキはパンダに手を振ってから走り寄って来た。

「…何やってんの?」
「情報収集」
「へぇ。で、何か?」
「いや特に何も。あ、パンダの毛皮は本物らしい」
「…へぇ」
「パンダ触ったのなんか初めてだ。旧地区には動物園なんかないからな」
「それで?」
「え?」
「いや…何もないよ」

ゲートが閉じるまでの間も、ミズキはパンダに手を振っていた。パンダの方もいじらしく振り返しているが、別にそんなに可愛くない。

「…プラチナ・ジェイルには動物園があるって聞いたことあるんだけど」
「えっ!?本当か!?」
「ミズキって動物とか好きだったっけ…」

…不安だ。





ゲートをくぐって外へと出ると、空には満天の星が輝いていた。と言ってもそれはコントロールされた人工の空らしい。プラチナ・ジェイルそのものが、巨大なプラネタリウムと言ったところだろうか。
そしてその空に突き刺さるように、プラチナ・ジェイルの象徴、オーバルタワーが遥か高く聳えている。

ミズキが聞いたことに、パンダ曰く。プラチナ・ジェイルはオーバルタワーを中心に五つの地区に別れているらしい。その中で俺たちが通されたのは、フレイム・ウィローと言う地区。
街の雰囲気としては和風のような中華風のような感じで、俺は紅雀を連想した。頭上から赤い光が降り注いできて目がチラチラする。

「蒼葉、これからどうするんだ?」

俺とミズキはゲートから少し歩いたところで足を止めた。

「とりあえずこの、マップに表示されてる宿泊所に行こうかなって。いきなりオーバルタワーに乗り込んだって何にもならないだろうし。体勢を立て直したい」
「そうだな。じゃあそうするか」
「蓮、ナビ頼む」
『わかった。こっちだ』

俺は蓮の指す方向へと、ミズキを連れて再び歩き出した。
人々のざわめきは、同じ人間であっても俺の知ってるそれとは違う。整備された道路、煌びやかなショー・ウインドウ。街が違えば人も違うらしい。


大通りの喧騒を田舎者丸出しで歩いているうちに、俺は何時の間にか一人になっていた。いや、正確に言えば一人と一匹。一体いつはぐれたんだ!?

「蓮!ミズキがいない!」
『すまないが、蒼葉。こう人が多くては私は役に立たない。連絡を入れることを提案する』
「わかった!」

俺は大通りから脇道へと逸れると、コイルでミズキへと電話を掛けた。…出ない。何やってんだ?
もう一度掛けてみると、ワンコールで出た。

『…蒼葉?ごめん!後で掛け直す!』
「は?ちょっと…」
『…あ、すいません今行きます!…それじゃ!』
「え…」

取り付く島もなく、電話は切れた。思わずコイルを見つめたまま茫然としてしまう。

『どうした?蒼葉』

蓮が腕の中で首を傾げた。

「…良くわからない」
『?そうか?』

蓮にまたナビを頼んで、俺は大通りへと戻った。一応ミズキに宿泊所の場所をメールで送っておく。
今度は大通りに入っても、喧騒はほとんど耳に入らなかった。耳の中で響いているのはさっきの電話だ。

『…あ、すいません今行きます!』

俺に言っている風じゃなかった。じゃあ、それは電話の向こうで誰かと一緒にいたってことになる。
俺もミズキもプラチナ・ジェイルは初めてのはずなのに…

「…なんか、ムカつく」
『何か言ったか?』
「別に」
『そうか?蒼葉、ここだ』
「おっと」

蓮に言われて俺が慌てて足を止めたのは、GLITTERと言う建物だった。他の煌びやかな建物と比べると大分地味だが、旧地区と比べればずっと洗練されている。

それは内装もだった。広いリビングは二階までが吹き抜けになっていて、高級そうなソファが置いてあった。二人で泊まるには広すぎるくらい。
奥には風呂場があるらしい。二階には寝室が二個と、バーカウンターまであった。

俺はリビングのソファに腰を下ろすと、鞄からコイルを取り出した。コイルをテーブルの上に置いて、しばらくミズキの連絡を待っていたが、いつまで経っても掛け直すとか言う電話は来なかった。

…そうして、待っているうちに何時の間にか眠ってしまっていたらしい。
ハッとしてコイルを見ると、画面にはミズキからの着信がズラッと並んでいた。

「やべ…!」

慌ててリダイアルを押して耳に当てると、やがてコール音が聞こえてきた。だが、何かおかしい。

「ん?」

何故か着信音がすぐ近くから聞こえるのだ。具体的に言うと、二階の方から。

「…ミズキ?」

やがて電話が繋がり、俺は電話の向こうへと囁いた。するとドスンバタン、と音がして二階から足音が聞こえる。
ミズキはコイルを耳に当てたまま階段に顔を出すと、電話の向こうから「ただいま」と笑った。



次いで階下へと降りてきたミズキは、あまりにもミズキらしかった。

「服、どうしたんだ?」

ミズキの服は何時の間にか、黒のパーカーでなくなっていた。
トレードマークの、スタッズ付きの赤と黒のジャケット。黒のズボン。俺の見慣れたミズキの姿だ。…一つを除けば。

「似たような服があったから買ったんだけど、見てる間にはぐれたんだ。悪い」
「いやいいよ。すごい人ごみだったし……でもミズキ、それ…」
「…これ?」

ミズキは苦笑すると、自分の首元へと手を当てた。
そこには黒いスカーフが巻かれていて、首筋が隠されている。俺はその理由を、わかっているつもりだ。

スカーフで隠されたそこに、かつての刺青はもうない。代わりに入っているのは、モルヒネの刺青だ。

「…あんまり見て楽しいもんでもないだろ?」
「そう…かもな」

うまい返しが見つからず、俺は言葉を濁した。そんな自分に自己嫌悪を催す。
流れた気まずい沈黙を打ち消すようにミズキは俺に笑い掛け、首筋から手を外した。

「寝るんならベッドで寝ろよ。二階に寝室があったから」
「わかった」
「立てるか?」
「平気だ」

俺は寝起きのふらつく足で階段を登る。ミズキは俺を寝室に送り届けると、小さく頭を下げた。

「今日はいなくなって悪かった。服見てたのもそうだけど、偶然知り合いにあってさ。俺の凄く尊敬してる人なんだけど」
「うん」
「この話はまた明日するよ。友達と来てるって言ったら、会ってみたいって。どうだ?」
「別にいいよ」
「ありがとう!…それじゃまた明日。おやすみ」
「おやすみ…」

バタン、と外から扉が閉められて、俺はベッドへと歩み寄った。蓮の入った鞄をベッドの脇に置いたら、すぐベッドへとダイブする。
ミズキの電話の後の不快感は、ミズキに会えばなりをひそめた。ちゃんといなくなった理由を聞けて良かった、と思う。

ミズキの尊敬してる人って、どんな人なんだろう…そんなことをかんがえているうちに、俺はまた眠りへと引きずり込まれていった。



「痛っ…!?何、ぅ、あ…!!」

目が覚めた瞬間、眠気も吹き飛ぶような酷い頭痛に襲われた。

「ひ…」

ベッドから起き上がれない。脳味噌を直接痛ぶられてるみたいな激痛。目の前の天井がチカチカと明暗しながら波のように揺れている。

そうだ、薬…!

薬はベッドの脇の鞄に、蓮と一緒に入っているはずだった。俺はベッドをナメクジのようにゆっくりを這う。それから意を決して、ベッドの淵から転がり落ちた。

「ぅあ…!!」

床に打ち付けた体は痛かったが、それでも頭痛と比べれば大したことはない。俺は今度は床を這って進み、何とか鞄へと辿りついた。酷く汗ばんで滑る指で鞄を開き、掌を押し当てて蓮を起動する。

『蒼葉!?』
「蓮、ミズキを…」
『わかった!!』

薬は、走り出ていった蓮の下にあった。婆ちゃんからは一回一錠だって言われていたけど、そんな場合じゃないのは自分が良くわかっている。乾いた喉に錠剤が張り付いて飲み込めない。噎せこんで吐き出してしまった錠剤が、床の上に散らばった。

「蒼葉!!大丈夫か!?」

振り返らなくたってわかる。頭痛が耳鳴りを誘発した中に、ミズキの声はやけにクリアだった。蓮の吠える声も聞こえる。
不意に仰向けに転がされて、視線を上に向けるとミズキの切迫した顔があった。寝起きなのかも知れない。スカーフの巻かれていない、剥き出しの首にはミズキの罪の象徴が見える。

「ミズキ、薬…」
「わかった!水飲めるか?」
「多分…」
『ミズキ、蒼葉は酷く弱っている。自分では不可能な可能性が高い』
「…わかった。蒼葉、薬これか!?」

床に落ちていた錠剤を差し出したミズキに、俺は頷いた。もう話すのも、思考するのも辛い。ゆらゆらと揺れて見え出したミズキが頭を下げる。

「蒼葉、…ごめんな」

何を謝ったのかは、ミズキの行動ですぐわかった。

「ん…」

屈み込んだミズキの唇が、俺の唇に触れていた。ミズキは舌先で俺の唇を押し開いて、水を少しずつ流し込む。混じっている固形のものは薬だろう。俺は温い水を飲み込んで、信じられない気持ちでミズキを見上げた。

「水、まだいるか?」
「え…」

返事をするより先に、水を含んだミズキの唇が落ちてきた。そしてまた、ぬるい水をゆるゆると流しこんでくれる。…何なんだ、これは?

「ミズキ、これ…」
「…ごめんな」
「…………」

まだ夢を見ている気がした。茫然と見上げた視界でミズキが申し訳なさそうに眉を顰める。頭痛はもう大分和らいできていた。間違いなくミズキのおかげだろう。

頭痛が治まれば逆に冷静になってきて、俺は今起こったことに酷く戸惑った。妙な空気を断ち切りたくて、俺は体を起こした。

「…ありがとう。もう大丈夫だ」
「ベッドで寝るか?」
「いや、起きる…手を貸してくれ」
「わかった」

ミズキの手を借りて立ち上がると、まだ少しクラクラしたが、先程の酷い頭痛と比べれば断然いい。婆ちゃんの薬は本当にすごいな、と思う。

「蒼葉。今日、昨日言ってた人とまた会うつもりなんだけど、一緒に来るか?それとも休んでるか?」
「いや、行くよ」
「…しんどくなったらすぐ言えよ」
「ああ」

ミズキは納得できないようだったが、一応は了承してくれた。支度をしに部屋に戻ったミズキを見送って、俺も支度をする。
散らばった薬を拾い集めていると、蓮が俺の服の裾を引っ張った。

『蒼葉』
「何?」
『大丈夫か?』
「頭痛はもう治まったけど」
『…これまでそんなに、酷くなかっただろう?』
「…そうだな」
『蒼葉、力が…』
「蓮。この話はもういいから」

不服そうに吠える蓮を持ち上げて、俺は額と額をくっ付けた。…何となく、安心する。それは蓮も同じらしく、気持ち良さそうに耳をぴくぴくさせていた。

「…何の問題もないよ。頭痛は多分、たまたまだ」
『…………』
「行こう」

鞄を持って歩き出した後ろを、蓮がぽてぽてと着いてくる。階下を覗き込むと、ソファに座っていたミズキが気付いて手を振った。


頭痛が酷くなったのは多分、ミズキにスクラップをしてからだ。ミズキだから、と言うことは多分なくて、スクラップ自体がきっと俺を壊していっている。
…壊れ尽くしたら一体どうなるんだろう?…あいつに飲み込まれるのか。
わからないけど、いまここで壊れるわけにはいかなかった。壊れるならせめて、東江を止めてから。どうやってやればいいのかもまだわからないけど。






GLITTERから外へ出ると、空はまた満天の星空だった。プラチナ・ジェイルはいつでも夜と言う設定らしい。ゲームじゃないんだから設定、というのもどうかと思うけど。

ミズキが俺を連れて行ったのは、大通りから奥に入った小さなカフェだった。カフェ、と言っても内装は和風で、茶屋、とでも言った方がいいのかもしれない。
入口に立ち尽くしていると、やがて店員が顔を出した。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「先に連れが来てるはずなんだけど」
「少々お待ちくださいませ」

応対に出て来た店員は、会釈をするとまた奥に引っ込んでいった。店の奥を見つめて、ミズキは酷く落ち着きがなかった。
…尊敬してる人、と言っていたっけ?そんな人に会えるとなったら嬉しいだろうな。

「…前にうちの店でさ、刺青の図版見せただろ?あれを作った人なんだ」
「ああ。『どうしても見たいなら100万円になります〜〜』ってアレ?」
「馬鹿、やめろよ似てねーし。それそれ」

そう言ってミズキは苦笑を浮かべた。少し緊張が解れたらしく、さっきとは違って自然な表情になっている。別に狙ってやったわけじゃないけど、効果はあったらしい。
「お待たせしました。奥へどうぞ…」
やがて戻ってきた店員の後ろをついて、俺たちは店に入った。



「やあ、ミズキくん。一日ぶり」
「お疲れ様です!竜峰さん」
「いや、別に疲れてないけどね」

含み笑いを浮かべると、竜峰、と呼ばれた男は俺たちを手招いた。

ミズキの尊敬している竜峰とか言うやつは、青い着流しに淡い色の髪をした男だった。細い目と口元がどことなく蛇を連想させる。
着流しからちらりと見える首筋には、鱗のような青い刺青が入っていて、それが良く似合っていた。

「初めまして、俺は竜峰。どうぞ御贔屓に」

笑みを浮かべると、竜峰は尚更蛇のように見えた。

「初めまして蒼葉です。よろしく」
「よろしく。ミズキくんが昨日友達と来てるって言っていたから、折角と思って呼んだんだけど。迷惑だったかな?」
「いや、大丈夫です」
「それは良かった」

竜峰は満足そうに頷いて、俺たちにメニューを勧めた。

「ここは俺の行き着けだから。気に入ってくれたら嬉しいな。俺が持つから遠慮しなくていいよ」
「いや、そんな…竜峰さんに奢っていただくなんて」
「いいじゃない。稀には良い事したくなるんだよ。だからここは俺に出させて?」
「…はい」
「有難う」

竜峰は店員を手招きして何やら注文すると、また俺たちに向き直った。ミズキはやっぱり緊張している様子だ。けど俺は刺青も竜峰も良く知らないから、何かすごい人らしい、という以外は何もない。
やがて注文が運ばれてくると、竜峰は俺たちを交互に見て口を開いた。

「プラチナ・ジェイルには観光に?」
「…ええ、まあ」

…まさか東江に喧嘩を売りに来た、と言えるわけもない。なるほど、と竜峰は頷く。

「綺麗なところでしょう。もうどこか行ったの?」
「いやまだどこも…」
「そうなの?折角来たんだから、楽しまなくちゃ。蒼葉くんも?」
「あ、はい。まだ」
「そうなんだ。うーん、良かったら俺が案内してあげてもいいけど。どうかな」
「いやいや!竜峰さんにそこまでしていただくのは…」
「そう?じゃあいいけど。何かあったら言ってね」

そう優しげに笑う竜峰は、俺の抱いていたイメージとは違っていい人のように思えた。
ミズキから竜峰は、気に入った人にしか刺青を彫らないとか聞いていたから、もっと気難しい人なのかと思っていたけど。実際の竜峰は存外に気さくだった。
竜峰が問い掛けて、俺たちが答えるという短い会話の応酬が何度か続く。

けどやがて会話も途絶えて、そういえば、と竜峰は思い出したようにミズキを見た。

「ミズキくん。昨日から気になってたんだけど」
「はい」
「あのさ…」

竜峰は手の中にあった茶器を置くと、ミズキの首元を指差した。ミズキがスカーフを巻いている、ちょうど弱点。ミズキはびくりと肩を揺らした。

「其処。綺麗な刺青入れてたでしょう。どうしたの?滲んだ?」
「え。いや、…そうじゃないんですけど…色々あって。見せれる状態じゃなくて」
「そうなの?」

竜峰は不思議そうに首を傾げた。それから暫く何か考えているらしく黙って、今まで竜峰が率先して喋っていたテーブルは静かになった。
次に口火を切った竜峰はまた笑みを浮かべている。けどそれは俺たちに取って楽しいことじゃなかった。

「見せてくれる?」
「えっ」
「見たいな。見せて」
「…………」

それは口調こそ穏やかだったけど、どこか強制するような響きを含んでいるように俺には聞こえた。ミズキは竜峰を見つめて戸惑っている。
当然だ。…自慢の刺青を誰が入れたとも知れない刺青で塗り潰されたなんて、言いたいわけないだろう。それも悪い思い出しかないのに。
思わず俺は口を挟んだ。

「…竜峰さん。申し訳ないですけど、やめてあげて下さい」

俺は、ミズキのスカーフに伸ばし掛けた手を掴んだ。ミズキがぎょっとした顔で俺を見る。竜峰の視線がミズキから俺に移った。

「どうして?見たら何かアドバイスできるかも知れないけど」
「俺たちの問題なので、大丈夫です。気にしないでください」
「俺たちの……ふぅん。そう。なら、別にいいよ」

竜峰は殊の外あっさりと引き下がった。竜峰は下ろした手で、また茶器を持ち上げる。小さく頭を下げたミズキに、竜峰はひらひらと手を振った。

「差し出がましいことを言ったね。これでも刺青で食ってるからさ、何か力になれるかなって思ったんだけど…」
「…すいません」
「気にしないで。…仲良いんだね。ねえ蒼葉くん」
「え?…あ、はい。まあ」
「付き合ってるの?」
「え!?」
「当たり?」

竜峰は細い目を更に糸みたいに細めて笑った。俺もさっさと否定すればいいのに、今朝の光景が今更フラッシュバックして言葉に詰まる。飲んでいた水が急に苦くなった。…薬みたいに。
今度助け舟を出したのはミズキの方だった。楽しそうな竜峰に苦笑を向ける。

「竜峰さん。蒼葉は純なんですから、からかわないであげてくださいよ」
「そう?わりとあるんじゃないかなと思ったけれど。これから?」
「やめてくださいよ」
「ないかなあ」
「ないですね」
「そう。ごめんね蒼葉くん」
「…いや、別に…」

俺は視線を逸らして、手の中の茶器へ落とした。…何故か胸の中がもやもやする。そのもやもやは、昨日ミズキと電話をした時と同じものだと気づいたけど、それが結局何なのかはよくわからない。
もやもやごと、俺は水を飲みほした。




店の外に出ると、空はやっぱり満天の星空だった。コイルが示している時間はまだ夕方だっていうのに。
プラチナ・ジェイルに長い間いたら、段々時間感覚がおかしくなるんだろう。それできっと、夜な夜な遊ぶことしか考えられなくなる。夜を独りで過ごすのは寂しいから。


「ねえ、蒼葉くん」
「え?」

星空を見上げていた視線を下ろすと、何時の間にか竜峰が目の前に立っていた。
目が合うと、竜峰はにっこり笑った。本当に良く笑う男だ。

「いきなり何言うんだって思うだろうけど、蒼葉くん。君に提案したいことがあって」
「はあ」
「…良かったら君のこと彫らせてもらえないかな。勿論刺青をね」
「え…?」
「どうかな。悪いようにはしないけど」
「……えっと…」

いきなり何を言うんだって、まさに竜峰の言う通りだった。初対面でまだよく知らないっていうのに、いきなり刺青を彫らせてくれなんて。

そして、俺以上に驚いているのがミズキだった。俺と竜峰を代わる代わるに見つめて戸惑っている。
世界一の腕前、なんだっけ竜峰は。そんな人に彫らせてくれって頼まれるなんて、きっとものすごく名誉なことなんだろうけど。
…俺は竜峰に頭を下げた。

「…すいません。お断りします」
「どうしても駄目かな」
「はい。申し訳ないですけど…」
「うーん。そっか。残念だけど、じゃあいいよ。ごめんね」
「いえ、こちらこそ…」

刺青に何か恨みとかトラウマがあるわけじゃないけど、昔から何となく避けて来た。多分それはこれからも変わらないだろう。
竜峰は少し残念そうに笑った。

「じゃあ蒼葉くん。アドレス教えてよ。彫る気になったら連絡ちょうだい」
「あ、それなら…」

それで竜峰の気が済むなら、いいだろうと思った。アドレスを伝えると、竜峰は背を向け去って行った。
竜峰を見送ってから振り返ると、何か言いたげな顔をしたミズキがこっちを見ていた。

「…え。何?」
「いや、なんでもないけど」
「…。そうなの?」

なんて言いながらも、ミズキは何か言いたげな顔をやめない。今日はもう遅いからって、GLITTERに帰る間もずっとそんな感じだった。
それどころか、GLITTERに着いてもミズキはもの言いたげに黙ったままだった。もう俺も痺れを切らした。

「何だよ、もう…言いたいことがあるなら言えよ」
「うん?うーん……いや、そんな大したことじゃないし。言ってもアレなんだけど…」
「何?」
「うーん…あのさあ」
「うん」
「刺青。入れる気になったら俺に入れさせてくれないか?」
「へ?」
「…って。だけなんだけど」

ミズキは気まずそうに頬を掻いた。ちょうどティアドロップの刺青があるところ。

「いや!もちろん竜峰さんの方が腕があるしセンスもあるし…蒼葉がそうしたいなら俺はいいんだけど」
「いや。まず俺は入れる気ないし」
「知ってるよ。けどさ、もし入れる気になったらさ」
「……。いいよ。入れないけどな」
「…いいのか?」
「ああ。俺が万が一刺青を入れる気になったら、竜峰さんじゃなくてお前に頼むから」
「ありがとう!!」

ミズキは本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
あり得ないことを話すのは馬鹿らしいけれど、ミズキが喜んでいるのでまあ、いいかと思う。

…むしろ、きっと来ないであろうことで喜ばせるのは申し訳ないと思った。けど俺は刺青をする気は全然ないし。
不毛な会話が何となく辛くて、俺は断ち切りたくて口火を切った。

「…寝る」
「そうか?じゃあまた明日な。おやすみ」
「ああ、おやすみ」

ミズキに手を振って寝室に戻ると、俺は上着を脱いで蓮を起動した。

「蓮。今日は悪いけど起きててくれ」
『ああ。具合が悪くなったらすぐに言ってくれ』
「頼む。それじゃあおやすみ」
『おやすみ。蒼葉』

蓮を抱き枕にして、俺は目を閉じた。




『蒼葉、痛むのか?』

案の定、翌日も頭痛で目を覚ました。言わずとも、蓮は俺の体内スキャンから不調を感じてくれたらしい。

「…蓮、悪いけどまた…」
『わかった』

蓮が俺の腕の中から抜け出て、寝室から外へと出て行く。またミズキを呼びに行ってくれたんだろう。
ミズキはすぐにやってきた。こうなることを予期してくれていたようで、昨日と違ってスカーフを巻いている。

「蒼葉、また…ごめんな」

謝らなくちゃいけないのはこっちの方だよ。そう言いたいのに、話すのも辛くて俺はミズキに頼るしかなかった。水と錠剤を口に含んだミズキが唇を寄せてくる。

「ふ…」

水はまるで、喉を通って脳まで潤すみたいだった。あれほど酷かった頭痛が漣のように引いていく。
段々と焦点を結んできた視界では、ミズキが真剣な顔で俺を見下ろしていた。濡れた唇にドキリとして、そんな自分に戸惑った。

「…あ、ありがとう。ごめん」

何故か妙にドギマギして、俺はミズキから視線を逸らした。
…おかしい。これはしょうがないことで、別に何の意味もないのに。…そう思うとなぜか胸が痛かった。
……なんだそれ。これじゃまるで俺がミズキのことが好きみたいで……え?

「まだ辛いか?顔が赤いけど」
「え、えっ!?はあ!?いや、いや大丈夫…!」
「そうか?無理すんなよ。お前痩せ我慢するタイプだからな」
「…そう?」
「――そんな気がしてるから…怖いんだよな。なあ、蒼葉」
「何?」
「辛くないなら、ちょっと話してもいいか」
「いいよ?」

頷いてみせると、ミズキは俺の寝転ぶベッドの淵に腰を下ろした。さっきまでの苦笑が消えて、今は真剣な表情を浮かべている。
そして何を思ったか、ミズキは首筋に巻いていたスカーフを取った。そこにはもちろん、モルヒネのタグアートがある。

「蒼葉。…あの時。お前が俺にしたのって、スクラップだよな?」
「……!」
「お前が俺の頭の中に入ってきて、俺を引きずり出してくれたの、…何となく覚えてるんだ。そうなんだろ?」
「……ああ」

そこまで言われては、否定することもできなかった。
俺はあの日モルヒネに洗脳されたミズキの中で、本当のミズキに会った。そして俺は、本当のミズキから、包み隠さず色んなことを聞いた。

今のリブスティーズのこと、ミズキの抱えていた悩み…

了承も取らず、心の中に、土足で踏み込んで。


「…何申し訳なさそうな顔してんだよ。俺はお前を責めたいんじゃない。俺が言いたいのは…蒼葉、最近頭痛、酷いよな」
「…?うん」
「あれ。スクラップを使ったせいなんだろ?」
「…………」

…ばれてたか。まあちょっと考えればわかることだ。頭痛が力のせいなら、頭痛が強まったということは力も強まってるってことだ。
それの切っ掛けになりうるのは、あの時のスクラップしか考えようがない。

沈黙を肯定と受け取ったらしい。ミズキは、酷く辛そうな表情で頷いた。スクラップは俺が勝手にやったことで、それでミズキが引け目を覚えることなんて何もないのに。

それからミズキは、何か言いたそうな顔で俺を見た。けど躊躇したのか、視線が一度ベッドの上に落ち、それからまた俺に戻ってきた。
再び俺を見据えたミズキの視線には、覚悟がこもっていた。

「…お前、もう力使うな」
「えっ」
「約束してくれ。…これ以上力を使ったら、お前…」

ミズキは言葉を濁したが、その言葉の続きはわかるつもりだった。
いつか、俺も考えたこと。きっと俺は、力を使う度に壊れていく。

「この先何があっても、絶対に二度と使わないで欲しい。…最低なこと頼んでるかもしれないけど」
「ミズキ、」
「心配なんだ…頼む」

そう言って深々と、ミズキは頭を下げた。
もう何年もつるんでいるけど、ミズキにここまで頼み込まれたのは初めてだった。…それだけ、俺を心配してくれてるってことだ。
その気持ちを無下にすることは、どうしても俺にはできなかった。

「…わかった。力はもう使わない」
「本当に?」
「本当本当。金輪際封印するよ」
「蒼葉…!」
「…ありがとな」

笑いかけると、ミズキはほっとしたように深い息を吐いた。それから不意に、ミズキは剥き出しにしていた自分の首筋に触れた。

「お前のことは俺が、…この刺青に掛けて守るから」

疑いようなく、モルヒネの刺青のことだった。

ミズキは、力を求めて自分の刺青を上書きして、俺の婆ちゃんを攫った。
…それだけじゃない。ミズキがモルヒネにドライジュースを差し出したせいで、たくさんのメンバーも傷付けた。あの時俺たちがミズキを止めていなかったら、一般人にも被害が及んだだろうと思う。
二度と繰り返さないための戒めと、ミズキはそれを思っているのかもしれない。

「ミズキ。俺からも話、いいか?」
「ああ。何でも言ってくれ」

ミズキは自分の胸を叩いた。俺はベッドから背中を起こして、ミズキの目をじっと見据える。そこに何か見えるわけじゃないけど。
――聞くなら今しかないような気がした。


「…お前。これから…リブスティーズ。どうするんだ?」

この唐突な質問にも、ミズキは動揺しなかった。このことについては、もう自分で考えていたのかもしれない。

ドライジュースは形式上モルヒネに吸収されてなくなり、メンバーはみんな入院中。リブスティーズはミズキの全部だったのに。

ミズキは視線を手元に落とした。

「…やめるしかないかなって、思ってる」
「…………」
「ライムに行くのも違う気がするし、仕事に専念しようかなって。俺もいい歳だし」
「…まだ若いじゃん全然」
「もっと若いやつがいっぱいいるだろ?俺がいなくたって、きっとそいつらがリブスティーズを盛り立ててくれるさ。な?」

ミズキは顔を上げて、ニカっと笑った。その笑顔を見つめながら、俺はミズキが、『そうだな』って言って欲しがってるような、そんな気がした。
そう言われれば『蒼葉に言われたから』って言い訳でリブスティーズを諦められるから。

俺の返答を待った沈黙が落ちた。

俺だって、ミズキに『そうだな』って答えるのは簡単だ。俺も『ミズキが言って欲しがってる気がしたから』って言い訳ができる。


じゃあ、『それはおかしい。続けろ』って言うのは?

それには――理由が必要だ。ミズキが納得できる、リブスティーズを続けるための理由が。そして、俺がミズキにリブスティーズを続けて欲しい理由も。
俺はそれを持っているか…?


「ミズキ、ごめん。俺……わからない。けど、俺はミズキにそんな簡単に諦めてほしくない」
「…………」
「ごめん。ミズキがリブスティーズ大好きだったの知ってるから…もっと考えて欲しいって、思う」
「…蒼葉」
「ごめんな…!」

空気に堪えきれなくなって、俺は部屋から逃げ出した。蓮の入った鞄を下げて、GLITTERからも出る。
外に出れば、プラチナ・ジェイルは本当に遊ぶところだけはたくさんあった。いつのまに本当の夜が来たのかもわからない。GLITTERに帰りついた時、今がもう朝なんだと気づいて俺は驚愕した。
恐る恐る二階へと上がり、俺はミズキの寝室の扉を叩いた。ミズキのリブスティーズへの答えが出ていることを期待した。…自分は現実逃避していたくせに。

けど、いつまで経っても返事はなかった。寝てるんだろうか?俺はドアノブを回してみる。…鍵は開いていた。

「…いない?」

寝室を出て、GLITTERを彷徨ってみたけどミズキはどこにもいなかった。拍子抜けしてリビングのソファに腰を下ろす。
するとタイミングを見計らったようにコイルが着信を響かせた。電話だった。表示されたのは思いがけない名前で、俺は不審に思いながら電話を取った。

「…竜峰さん?」
『やあ蒼葉くん。電話は初めてだね』

電話の向こうで、竜峰があの笑みを浮かべているのは容易く想像できた。目を糸みたいに細めた蛇の笑み。

「何か用ですか?」
『うん。ミズキくんのことなんだけど』
「ミズキ!?」

思いがけないところから連絡が来た。いや、今日…もう昨日か。も、会っていたんだし別におかしくはないか。電話口で竜峰がくくくと笑う。

『その様子だと、心配してたみたいだね。今一緒にいるんだけど、良かったら来ない?』
「……あの」
『――場所はオーバルタワー最上階』

俺が誘いを断るより、竜峰が口を挟む方が早かった。俺とミズキが今気まずい状態で、竜峰に気を遣わせるのも悪いと思ったのに…

『俺の名前を出せば上がってこれるよ。途中でエレベーターを乗り換えなくちゃいけないから、そこで待ってるね』
「え、えっ!!??」
『…それじゃ、あとでね』

言いたいことだけ言って、電話は切れた。…竜峰はなんて言った?


『場所は、オーバルタワー最上階』

何でもないことのように、竜峰はそう言ってみせた。

一介の彫り師である竜峰が、何故そんなところに入れるのかは謎だ。それに、これ以上罠らしい罠もないだろう所に、どうしてミズキが乗り込んで行ったのかも、謎だ。
これで俺が竜峰に誘われるままにオーバルタワーに行ったなら、揃いも揃って大馬鹿もの!って婆ちゃんにどやされそうだけど。

…けど、それでも。


「蓮。オーバルタワーに行く。ナビ頼む」
『了解した。……蒼葉』
「何?」
『気を付けてくれ』
「…わかってるよ!」

ミズキを見捨てるようなことは絶対にできなかった。まだミズキの答えも聞いていないのに。
俺は再びGLITTERを飛び出すと、オーバルタワーへと駆け出した。





プラチナ・ジェイルに来てもう何日か経っていたけど、オーバルタワーに来たのはこれが初めてだった。
街の至る所から見えるから、ものすごく高いんだろうことはわかっていたけど、いざ見上げてみると本当に高かった。

「おいお前、ここに何の用だ」

タワーの前に突っ立っていると、警備員の二人組が俺に近寄ってきた。タワーはプラチナ・ジェイルの住人でも、許可が入れないと聞いた。
竜峰は自分の名前を出せと言っていたけど、どうなんだろう。

「竜峰さんに呼ばれてきたんだけど」
「――竜峰さんに?…お前その名前をどこで知った」

警備員の一人が俺を値踏みするように見下ろしてくる。警備員に「さん」付けで呼ばれるなんて、竜峰もいよいよ怪しい。
警備員とにらみ合っていると、もう一人の警備員が俺の肩を叩いた。

「お前もしかして「アオバ」とか言うやつか?」
「知ってるのか?」
「ああ。そういえば竜峰さんがそんなやつが来たら通してやってくれって」
「それを先に言えよ…通っていいぞ」
「…どーも」

俺は警備員の間を擦り抜けて通ると、ゲートからオーバルタワーに入った。…本当に入れてしまった。

オーバルタワーは、目がチカチカするぐらいに白だけで構築されていた。土足で上がるのが申し訳ないくらいだ。やってきたエレベーターも白ければ、その内装も白い。

エレベーターの外に面した窓から見えるプラチナ・ジェイルは、貴金属の名前を冠すにふさわしい美しさだった。誰が付けたか知らないがうまく名前を付けたもんだとおもう。

PLATINUM JAIL――白金の監獄なんて。

そんなとりとめもない思考を彷徨わせているうちに、エレベーターは目的地に到着した。



「やあ蒼葉くん。来てくれて嬉しいよ」

エレベーターを下りればすぐに、竜峰がにこやかに待っていた。

「ミズキくんはこっちだよ。ごめんね勝手に連れ出しちゃって」
「…………」
「せめて連絡を入れておけばよかったかな?」
「いえ…?」
「そう?なら良かった」

竜峰は頷くと、くるりと俺に背を向けて歩き出した。多分ついて来いってことなんだろう。フロアは静かで、俺と竜峰以外誰もいないようだった。
…それにしても、罠だと覚悟してやってきたのに、竜峰の態度は昨日と何ら変わりない。
ただ茶屋からオーバルタワーになっただけという感じで、俺は脱力した。
やがて竜峰が足を止めて振り返る。

「ミズキくんはここだよ。…あ、蒼葉くん。悪いんだけど」
「はい?」
「ちょっと取りに行きたいものがあるからさ、先にミズキくんと喋っててくれない?刺青の本をミズキくんに見せてあげるつもりだったんだけど」
「…あ、はい。わかりました」
「うん。よろしくね…どうぞ」

竜峰はドアノブを握ると、俺に入るよう促した。…わざわざ開けてくれるなんて、良い人だな。


俺は竜峰に会釈をして部屋に足を踏み入れ―――待て。そもそもミズキは最上階にいるって言ってなかったか?


そう思い出した時にはもう遅かった。部屋を覗きこんだ俺の背を、竜峰が押した。
そして部屋に入ると同時に、外から扉が閉められる。ガチャッ。と鍵の掛かる音が室内に響いた。

「お、おい!!??」

俺は慌ててドアノブを握ったが、もう少しも回らない。

「おい!!竜峰!!」

叩いてもただ扉は鈍い音を響かせるだけだった。――閉じ込められた。そして当然ミズキはいない。

「くそ…!」

やっぱり、罠だったのだ。ミズキの名前につられて、こんなところに閉じ込められるなんて。これでもし俺が東江の手に落ちたりなんかしたら、ミズキに申し訳が立たない。

じゃあ――どうする?……考えろ。
どうにかここから出る方法を。

「…………」

俺は深呼吸すると、ぐるっと部屋の中を見回した。何もない、だだっぴろい部屋。天井には通風孔があるが、俺に通れる広さではない。
なら…俺は扉のすぐ横についている、ドアロックを見据えた。

どこにでもある平凡なドアロックだ。ディスプレイの大きさから判断して、パスワードは8ケタ。0から9までの十個の数字を8個並べた中に、たった一つだけ正解がある。…ヒントはなし。
何回か間違えれば、警報が鳴るか、パスワードが変わるか、きっとそんな方式だろう。

「…ん?」

大抵のドアロックには、0から9までの数字と、エンターとクリア。その12のキーがある。しかしこのドアロックには、もう一つ余計なキーがあった。

「…係員、呼び出し…って…!!」

きっと職員がパスワードを忘れた時に対処するものだろう。押せば多分、このタワーのセキュリティのところへ繋がる。
侵入者がただ開けてくれと懇願したところで、鼻で笑って開けてくれるわけないだろうが、多分竜峰が俺をここに呼んだのはイレギュラーで、俺が侵入者として伝わってないはずだ。
それに…俺にはこの声がある。

「…………」

俺は恐る恐る呼び出しキーを押した。短い空白の後、通信が繋がる。

『はい。こちらセキュリティです。何かお困りでしょうか』
「……!」

繋がった…!!

『…操作ミスですか?でしたら…』
「違います!!合ってます!!えっと、パスワードを忘れちゃって…」
『わかりました。それでは職員番号を言ってください。音声と照合します』
「…………」

わかってはいたが、はいわかりましたと開けてくれるわけはなかった。俺は生唾を飲み込む。

『…どうしました?』

沈黙を不審に思ったらしい職員が声を掛けてきた。ここで通信を切られては終わりだ。今のチャンスを逃したらもう…

『蒼葉。頼みがあるんだ。もう、力を使わないで欲しい』

脳裏に蘇ったミズキの言葉に、全力で詫びた。

 、、、
「開けろ」
『…え?』
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「扉を開けろ。そしてこのことは忘れて仕事に戻れ」
『…………』

また短い沈黙があった。カチッと音がしてロックが外れ、次いでブツリと通信が切れる。
――成功した!だが酔っている時間はない。俺は部屋を転がり出た。

確か竜峰はそもそも、最上階に来いと言っていた。なら、今はそこへ行くしか手がない。また罠だったとしても。

この階にはここまで登ってきたものとは別に、最上階へ向かうためのエレベーターがあった。他に最上階へ向かう手段としては階段があるけど。
できるなら、最上階で何が起こるかわからないことを考慮してエレベーターで行きたかった。けど、俺のコイルにはエレベーターを使うためのコードは登録されていない…はずだ。

けど、ものは試しとエレベーターの認証モニターにコイルを翳すと、心配とは裏腹に扉が開いた。狐につままれているようだ。
だがそうでなければ…招きこまれていると考えて間違いないだろう。

飛んで火に入る夏の虫とは俺のこと。
俺は最上階のボタンを押した。




「やあ蒼葉くん。早かったね、一体どうやったの?」
「竜峰…!!!」

エレベーターで最上階へ上がると、そこには待ち伏せするように竜峰が立っていた。

「丁度今、君を迎えに行こうと思っていたんだ。最後の仕上げが終ったからね…」
「何を言ってる!」
「ミズキくんを迎えに来たんだろ?こっちにいるから、着いてきて」
「おい!?」

そう言うと竜峰はくるりと俺に背を向けた。どうするべきか見つめていると、俺が着いてきていないことに気付いて竜峰が振り返る。

「どうしたの?ミズキくんなんかどうでもよくなっちゃった?まあ、それならお帰りはエレベーターからどうぞ」
「…違う!!」
「じゃあ着いておいでよ。罠を疑ってるんだろうけど、ミズキくんがいるのは本当。なんて言っても、もう信じてもらえないだろうけどね」

竜峰は目を細めて微笑んだ。当然竜峰の言うように、信じられたことないのだが、今更と言えばそうだ。ここまで来ておいて引き返したら、一体何をしにきたのかわからない。
竜峰は俺が歩き出したのを満足そうに眺めると、また背を向けて歩き出した。


「蒼葉くん。予想はついてるだろうけど、俺は東江の関係者なんだ。東江が何をしてるのかは知ってるよね?」
「…洗脳の研究だろ」
「ご名答。俺は東江からラブコールを受けてここにいるんだけど、ねえ蒼葉くん。俺の仕事はなんだったかな」
「…刺青だろ」
「うん」

竜峰は俺に背中を向けたままつらつらと喋り出した。けど俺には、その会話がどこへ向かっているのかわからない。

…変な話だと思っていた。何で彫り師が、洗脳を研究する東江と関係を持っているんだ?
竜峰は俺の心を読んだように、くすりと笑って答えを言った。

「東江はねえ、俺に刺青で人間を操ることはできないか?って持ち掛けてきたんだ。とんだオカルトでしょう?あり得ないでしょう?…でも、できちゃうんだなあ、これが…」
「はあ…?」
「刺青ってのはね、一針一針に自分の魂を込めることなんだ。それって突き詰めれば、自分の心を押し付けることだよね。だから刺青は、人の心を操ることができるんだ」
「……意味がわからない」
「だろうね。でも君はもう、知ってるはずだよ」
「え?」

不意に竜峰は足を止め振り返った。俺はその自信ありげな視線に気圧されてたじろぐ。

…俺が刺青の洗脳を知っている?…何のことだ。

けど竜峰はそれ以上刺青については何も言わず、すぐ目の前にあった扉を開けた。


「ミズキくんはここだよ。ここからはどうぞお二人で」
「…………」
「今度は閉じ込めたりしないよ。ほら…」

竜峰の指の先。扉の隙間から見えるところに、確かにミズキが背を向けて立っていた。何か怪我をしている、というようにも見えず、とりあえず無事のようだった。

「…それじゃ、ごゆっくり」

俺が部屋に入ると、竜峰は意味深な笑みで扉を閉めた。今度は鍵はかからなかったようだ。ドアノブがちゃんと回ることを確認してから、俺はミズキに歩み寄った。

「…ミズキ」

声を掛けると、部屋の中心に立っていたミズキがゆっくりと振り返った。まるでたった今俺がいるのに気付いたみたいな。俺と竜峰が話していたのが聞こえなかったはずないのに…?
目が合うと、ミズキはゆっくりと唇を吊り上げた。…なんだこの違和感。

「よお、蒼葉」

ミズキはにっこりと目を細めた。正面から見ても、怪我をしているようには見えず、俺はほっとした。

「無事だったんだな。良かった」
「ああ。ありがとう」
「竜峰と何してたんだ?」
「ちょっと刺青の話をな」
「そうか?…わざわざ、オーバルタワー最上階で?」
「ああ」

ミズキは何でもないことのように頷いた。ここに東江がいるってこと忘れてるのか…?いやミズキがそんなことするわけがない。きっと何か考えがあってのことなんだろう…
俺はどこか不審感を持ったままミズキを眺め、そして違和感の正体に気付いた。――スカーフがない。昨日は竜峰にそれを見せるのを躊躇していたはずなのに。

俺の視線に気付いたらしいミズキが、にやりと自分の首筋を撫でた。…また違和感。ミズキはそんな笑い方をするか?

「このタグアート、隠すなんてお門違いだったんだ。これさあ…竜峰さんが作ったんだって。昨日からもう気付いてたらしいよ」
「え」

――なんだって?

「…ミズキ、それ。モルヒネのタグアートじゃ…」
「何言ってんだよ蒼葉。モルヒネは東江の架空のリブスティーズだぜ?だからこれを作ったのも東江だよ」
「…………」
「はは。やっぱすげーよな竜峰さんって。俺じゃ、こうはなれないよ。刺青で人を操るなんてさ…」
「――お前、竜峰に何された」

頭のどこかで警報が鳴り響いていた。目の前にいるミズキが、段々俺の知っているミズキと違うように思えてくる…それは間違っていない気がした。
ミズキは答えず、ただ笑みを浮かべた。目を細め、唇を吊り上げる笑みは――竜峰に良く似ていた。

「蒼葉俺、考えたぜ。これからどうするか。俺、リブスティーズやめないことにした」
「ミズキ、」
「けどドライジュースはもうやめだ。あれはもうここまでだから、要らない。俺新しいリブスティーズを作るよ」
「ミズキ!!」
「……本物の、モルヒネをね」

それを避けられたのは、奇跡とか言いようがない。何が起こったのかわかったのは、それが終ってからだった。
目の前には、拳を握ったままのミズキが立っている。目が合うと、ミズキは皮肉げに唇を捻じ曲げた。

「ミズ…――」

風切り音がして、二撃目が放たれた。本能で避ける。だがミズキの拳はかすかに俺の頬を掠り、それだけで皮膚が薄く裂けていた。
…どんな威力だよ。長く側に居過ぎて意識してなかったけど、ミズキは旧地区で一番勢力を持つリブスティーズのリーダーなんだ。そう思えば、これくらい当然なのかもしれない。ミズキは俺が強いと言うけど、ミズキと比べれば月とスッポンだろう。
続いて放たれた三撃目は、咄嗟にガードした腕の上に降り注いだ。

「くっ、ぐ……!!」

一発受けるごとに、肉だけでなく骨までギシギシと悲鳴を上げる。俺は反撃の隙も与えてもらえず防戦一方だった。後退し続けた背中が、ついに壁にぶつかる。すると見計らったように、重い一撃がガードを潜って柔らかい腹に叩き込まれた。

「かは…っ!!!」

それは鳩尾に綺麗に決まって、一瞬意識が飛んだ。気が付くと俺は床に座り込んでいて、ミズキが俺を見下ろしていた。
…やべえ。ミズキは既に拳を下ろしていたが、見逃してくれるからじゃない。
俺が立ち上がるのを待っているんだ。

俺は、壁に背中を擦って何とか立ち上がった。呼吸をするたびに鳩尾がズキズキ痛む。あんまり綺麗なのを貰ったから、もしかしたら肋骨が何本かいってるかもしれない。
ミズキは俺が立ち上がったのを見届けると、また拳を引いた。

「がっ!!ッあ!!ひ……っぐ!!!うう……」

一発受けるごとに、視界が明暗する。意識はスイッチ式みたいに切れては点く。殴られる痛みと別に、さっき力を使ったせいだろう、頭痛にも襲われて俺はまたへたり込んだ。
再び手を止めたミズキの視線は雄弁に、立て、と語っている。俺を徹底的に打ちのめすために。

…だから俺は、何度でも立ち上がる。吐き捨てた血が、真っ白な床に良く映えた。

―――なあ、ミズキ。

「なあ…」

声を掛けると、ミズキは上げかけた手を下ろした。眼の血管が切れたのか、視界が赤い。
声を出すと肺が酷く痛かった。それでも俺は言わなきゃいけないことがあった。こんなところで壊れたら、全部終わりだ。


「ミズキ。ごめんな…俺のせいだよな。怒ってんだろ?俺がお前をあの時、スクラップで完全に壊してやれなかったか、…ぅっ。から!お前がまた苦しめられてる。本当、ごめんな…」
「…………」

答えないミズキへ、俺は一歩踏み出した。全身どこもかしこも痛いから、身を引きずるようにして。きっとひどい顔してるだろう。

「お前、言ったよな。もう力、使うなって…約束破ってごめん。さっき使ったんだ。だからここに来れたんだけど」
「…………」
「でもお前も約束破ったよな。お前言ってただろ?絶対俺のこと守るって。…おあいこだな」

ミズキの正面に立って、俺はミズキを見上げた。軋む腕を何とか持ち上げて、ミズキの頬に触れる。
刺青は好きじゃないけど、このティアドロップは綺麗だと思っていた。モルヒネのダサい刺青より、ずっとかっこいいよ。
下から覗きこんだミズキの瞳は真っ暗だった。初めてスクラップした時と同じ。

「――これからお前を、もう一度壊す。お前の事一回壊してるから、もしかしたらお前、…戻ってこれないかも。それか、俺の方が戻ってこれないかもしれない。でも、やる」
「…蒼葉、……やめろ」
「やめない。ミズキに戻ってきて欲しいから」
「蒼葉、頼むから…!!」
「…ありがとう。お前のこと、――好きだ。なんて…」

…往生際の悪いことを。ミズキの頬のティアドロップが、俺の血で濡れた。


「俺がお前を、完璧に、これ以上なく―――「壊して」やる」




GOOD END




それからあれやこれやと、一年が経った。
オーバルタワーは当事者のはずの俺たちからも原因不明に崩落し、社長の東江の失踪により、TOUEの司っていた業務は、他の様々な企業に委託された。ライムもその一つだ。
初めこそ混乱はあったけれど、今ではもう東江の話が人々の口に上ることもない。よって東江のあの忌まわしい洗脳計画は立ち消え、旧地区は初めから何もなかったように平和だ。

「ふわ…」

…平和すぎて、欠伸も止まらないくらい。凡人くんが悪ガキどもに追い掛けまわされてるのを、見なかったことにしたいくらい眠かった。
…が、まあそういうわけにもいかないだろう。

「はなせー!」
「いたいよう!」
「もう!シツレイしちゃうわ!」
「はい。今日もご苦労様でした…」

ポイポイポイ、とガキどもを外に放り出して、俺はまたレジに座った。ガキどもが文句を言っているのが何となく外から聞こえてくる。
これも俺たちがプラチナ・ジェイルに行ったからこそある光景なのかなと思ったけど、まあ特に感慨深くもない。
過去が取り戻せないのと一緒で、有り得ないことを夢想するのはしょうがないと俺は思う。今あることが全部だ。

「いらっしゃいませ!…って、あ。羽賀さん…おかえりなさい」
「ただいま、蒼葉くん」

朝から配達に行っていた羽賀さんが戻ってきた。羽賀さんは凡人くんにも挨拶すると、カウンターの中に入ってきた。

「蒼葉くん。今日はもう上がってくれていいですよ?」
「え。いいんですか?…ってか最近早上がり多くてなんか本当に…」
「いえいえ。最近お疲れのようですからねえ。健康は早寝早起きから!ですよ!」
「あはは…気を付けます…」

…この人はこの年で、素で9時とかに寝てそうだから笑えない…いや最近の俺が夜更かしが過ぎるだけなんだけど。

「お疲れ様でしたーー!!」
「はい。お気をつけて」

羽賀さんがにっこり笑って手を振ってくれる。俺は蓮の入った鞄を持つと、ジャンクショップ平凡を飛び出した。



東江から委託された企業がいい仕事をしたのかどうなのか知らないが、この一年でライム人口は急増した。バイト中に、ライムのためのオートメイトパーツの問い合わせを受けることも少なくない。

かと言ってリブスティーズ人口が激減したわけでもなかった。驚くべきことに、最近はリブスティーズチームとライムチーム、両方に入っているやつなんかもいるらしい。ライムとリブにはやっぱりまだ壁があるけど、その壁も大分薄くなった気がする。
…け、ど……。

「げっ」

店を出て大通りを抜け裏路地に入ってすぐに、俺は人だかりができているのを見つけた。
人垣の間から、キラキラ輝く腕の多い人間が見える。卯水だ。ライムのゲームマスター。

…ライムがあるってことは間違いなくあいつも……俺は引き返そうと慌てて方向転換した。
……が。もう遅かった。後ろから肩を叩かれ、俺は渋々振り返った。


「sly blue」
「…よお、ノイズ」
「元気」
「お前は元気そうだな…」
「普通だけど」
「そうか…」

俺の小さな反撃は、もちろんノイズには全く通用しなかった。こいつに冗談とか皮肉とかの意識があるのかどうか?まずそこから怪しい気もする。

ノイズと出会って、一年が経ってもまだノイズは俺をライムに引き入れること諦めていない。俺はsly blueの時の記憶なんかないってのに。
本当そろそろやめてくれねーかな…と思う反面、そんなに勧誘してくれるのが嬉しくもあった。ノイズはいつもドライなスタンスを見せている癖して、実は執着するタイプだなんてちょっと面白い。

「何笑ってんだよ。ライムやる気になったか?」
「やんねーよ。お前もしつこいな。いつまでやる気だ?」
「お前がライムするって言うまでずっと」
「だよな」
「さっさと諦めろよ…」

ノイズはそう言って、蟻地獄みたいな笑みを浮かべた。蟻地獄が笑ってるのなんて見たことねえけど。
こいつに惚れられた奴は、一生付き纏われるんだろうな……可哀想に。俺は未来の誰かに黙祷した。

「…ライムが終わったみてえだな」
「ああ」

ノイズが口にするよりも早く、俺はそれを空気で感じていた。人垣が段々散り散りばらばらになっていき、中にはノイズに金を渡して次の卯水出現スポットを聞いている奴もいた。
ノイズも次のライムに向かうらしい。俺に背中を向けて、ノイズは捨て台詞のように言う。

「リブスティーズ入ったくらいで、俺は諦めないから」
「わかってるよ。飽きるまでやってくれ」
「言われなくても」

俺はノイズと別れると、疎らな人の間を抜けて更に路地の奥へ進んだ。


…路地は進めば進むほどに、怪しさを増してきていた。
まず、空気が違う。大通りの活気さとは違って、裏路地はむしろ排他的な雰囲気を持っている。擦れ違う人影は誰も彼も値踏みするような目を向けてきた。

――こいつは強いのか?何者だ?何の用だ。

初めて来たやつは不愉快に感じるだろうけど、それは挨拶みたいなものだ。ここはもう旧地区であって旧地区でない一個のアンダーグラウンド。
そこを支配する奴らは、一様にあるリブスティーズに所属している。旧地区の若者なら、誰だって知っているあの有名なリブスティーズ――

俺は人を掻き分けて進み、奥まった路地で足を止めた。そこには何人もの男たちが屯していて、足音に気付いて顔を上げ、俺に声を掛けてくる。俺はそれに答えてながら、尚奥へと進む。

一番奥には、このリブスティーズのタグアートのペイントされた階段がある。…これも一度は塗りつぶされた。けど、タグアートが消されてもリブスティーズはなくならなかった。
有志によってペイントしなおされたそれは前よりいびつだけど、俺はそれを知っているからこそ、前よりずっと良くなったと思う。


タグアートのペイントされた特等席には、一人の男が座っていた。家族のようなアットホームなリブスティーズで、こいつだけは「さん」付けで呼ばれている。
その意味はたった一つ。こいつが俺たち――ドライジュースのリーダーだからだ。

「…よお、ミズキ」

何度来たって何度この光景を見たって、俺はうまく言葉が出せなくなる。もうこの光景を、見ることはできないと思っていた。
そう言う意味では俺はドライジュースの結束力を舐めていた。たった一回誤ったくらいで、メンバーはリーダーを見捨てたりしなかった。

全てが片付いた後に、ミズキは俺はをもう一度ドライジュースへ誘った。
…そんなの、断れるわけねーだろ卑怯者。こんなにいいところ見せられといてさ…。


ミズキは俺がやってきたことにもうとっくに気付いていた。階段に腰かけたまま、立ち止まった俺をじっと見下ろしている。
その首にはタグアートが入っていた。ミズキ以外のメンバーの何人かにもそのタグアートが入っているけど、それはドライジュースのタグアートじゃない。

それは、モルヒネのタグアートだった。心臓をモチーフにした、あの悪名高きリブスティーズのタグアート。でもそれは、ドライジュースがモルヒネに屈したことを表してるんじゃない。

「今日は早かったな」
「…ああ。羽賀さんがもう今日は上がっていいって」
「そうか。どうせまた居眠りでもしてたんだろ?」
「うるせーよ!お前らが悪いんだからな!?毎晩遅くまで連れまわしやがって…」

そう言うと俺の背後でメンバーたちの笑いが弾けた。

「…馬鹿ども」

恨み言を言うとまた笑いが弾けた。もちろん本気で言ってるんじゃない。…こういう『バカやってる』って感じ、嫌いじゃないし。
なんて言ったら、『じゃあもっと早くから入っときゃ良かったのに!』って言われそうだから絶対に言わないけどな!

「蒼葉も来たことだし、一回店に戻ろうかな」

ミズキはズボンを叩いて立ち上がると、悠々と階段を下りた。不満の声を挙げるメンバーにミズキは謝り、俺の方を向いた。

「蒼葉も来る?」
「あ、ああ」
「じゃあ行こうか」

今度はわざわざ掻き分けなくても、自然と道が開いた。通り過ぎる奴らに声を掛けて歩くミズキの後ろを着いて、俺たちはブラック・ニードルに向かった。

「…あれ?」
「今日は休み」
「そうなの?」
「ああ。店長の職権乱用だ」

ミズキはにやりと笑って、入り口にコイルを翳した。近頃また人気を取り戻してきた刺青ブームのために、ミズキの店は結構繁盛しているらしい。だからこの時間にはまだ結構な量の客が店の周りに屯してるっていうのに、今日は誰もいないから疑問を覚えたのだ。
ミズキは扉を開けて俺を先に入れると、後ろ手にまた鍵を閉めた。

「…定休日だからさ。入ってこられても困るし」
「おう…」

それが何となく、言い訳じみて聞こえたのは俺の考えすぎか?
俺は促されて待合のソファに腰を下ろした。人気のないブラック・ニードルなんか久しぶりで、何だか妙に落ち着かなかった。
やがてグラスを持ってきたミズキが俺の横に座る。グラスを受け取って口を付けると、良く知った味がした。カクテルなんてオシャレなものミズキのところでしか飲まないから、いつまで経っても名前が覚えられない。

「蒼葉、俺今日病院行ってきたんだ」
「定期検査のやつか?」
「ああ。脳のな」
「…そんで?」

ミズキは一年前、プラチナ・ジェイルから帰った後から、定期的に脳検査を受けさせられていた。
二回ずつの洗脳とスクラップの危険を忌避して、一応行った脳外科でミズキは見事に引っかかった。
今は何も異常はないけど、そのうち何か起こる可能性は多いにあるということだった。

「もう病院来なくていいって」
「……え。それって…」
「取り返しがつかない、ってんじゃないからな?もう何の心配もないから来なくていいって」
「…………」
「蒼葉?」
「…まじか……」
「お前。泣くやつがあるかよ」
「うっせ…」

俺はグラスを置くと、床を向いて俯いた。本当に良かった、と思った。この一年の心配だったこととかが蘇ってきて、涙は止めたいのに止まらなかった。
ミズキが壊れなくて…本当に良かった。グラスを置いたミズキの手が、俺の頭を撫でた。

「本当…ありがとな」
「…感謝される筋合い、ねーし…」
「ありがとな」

今ミズキに梳かれている髪は、この一年で大分感覚がなくなった。まだおぼろげにはあるけど、きっとこれなら髪を切ることもできるだろう。
おぼろげになったのは、あの力も同じだった。まだなくなってないことは確かなんだけど、言うなれば、深くで眠っているような。きっと俺が強く望むことでもなければ、二度と顔を出すことはないだろう。

頭を撫でていたミズキの手が頬の輪郭を通って、俺の顎を掴んで顔を上げさせた。泣き顔を見せるのは恥ずかしかったけど、それ以上にミズキの顔が見たかった。全てを乗り越えてミズキが今、どんな顔をしているのか。
視線を絡めたミズキは、淡く微笑んでいた。俺は心臓をわしづかみにされたみたいだった。

「ミズキ…」
「うん」
「――ミズキ、俺…」
「うん」
「お前の事、さあ…!」

もう二度と言わないでおこうと思っていたのに。あの力と一緒に、奥へ沈めておくつもりだったのに。
沈めておけば、何も変わらずにお前の隣に立っていられるから。そのはずの言葉が、口を付いていた。

「…好きだ」
「…………」
「お前の事、ホントに…」


ミズキは、返事もしなかった。俺は、俺たちこれで終わったのかと思った。ミズキは壊れなかったから、俺と言う道連れはもう要らないだろ?

それでもかまわない気もした。でもやっぱり辛くて、涙は止まらなかった。
俺は顔を覆おうと腕を挙げた。ホントどれだけ、酷い顔してんだろう……けどその手を、―――ミズキは掴んだ。
ぐい、と引っ張られる衝撃がする。頭が何か固いもののぶちあたった。

「蒼葉、ごめんな…」
「…え、……え?」
「…一年も返事、待たせた」
「…………」
「ごめん…!」

ミズキに頭を掻き抱かれても、俺はまだ何が起こったのかわかっていなかった。まるで脳が壊れたみたいに。
だからその後に続いた言葉が、ちゃんと言語であることに気付いたのも一瞬遅れた。

「……好きだ」
「…………」
「俺も好きだ。お前の事が」
「……ええ…?」

何言ってんだこいつ。嬉しいのかどうなのか、よくわからなかった。
冗談だったら本当に悪質だとは思ったけど。ミズキが冗談でも嘘を言うタイプじゃないのは、ずっと一緒にいたからわかっていたけどそれでも、疑うしかできなかった。

「嘘だろ」
「嘘じゃねーよバカ」
「信じらんねえ…」
「信じろよ」

そうは言われたって軽々しく、信じられるわけがなかった。だって俺はこの一年間、こんなこと絶対ありえないと思ってたんだぜ?

「――…じゃあ、……証明しろよ」
「蒼葉、」
「これ以上なく、打ちのめして。お前のこと疑ってる馬鹿な俺のこと、壊してくれよ…!」
「ッ………」

一年ぶりに触れた唇は、今度はただのキスだった。水じゃなくてカクテルの味がする。それからそれは、頭痛薬じゃなくて馬鹿な俺に付ける薬だった。

「っん、ふ…んん」
「は…」

口付けを繰り返しながら、ミズキは俺をソファに押し倒した。ミズキの首に腕を回した俺の服を、ミズキは荒々しい手付きで脱がせた。腰を浮かせると、ミズキは俺のズボンを下着ごと引きずり下ろした。

「…はぁ、ミズキ……」
「…………」

俺の両脇に手を付いて、ミズキが俺を見下ろしている。呼吸と共に、モルヒネの刺青が上下していた。
ドライジュースが、モルヒネを喰らい尽くして取り込んだことの証明だ。
…俺は手を伸ばしてそこに触れた。ミズキはぴくりと肩を揺らしたが、振り払うことはしなかった。視線が合うと、こみ上げてくるものがある。俺はおとなしくそれを吐きだした。

「…ミズキ。やっぱ俺さあ…好きだな。お前のこと」
「本当に?」
「ああ…すっげえ、好きだ…」
「…俺もだ」
「そっか。証明させてくれよ……来て」

手招きすると、ミズキは俺に触れるだけのキスをした。確かめるような掌が、上から下へ下りて行く。
釣られて下ろした視線が、俺とミズキの間で、既に立ち上がりかけている自身を捉えた。見ているうちに、下ろした掌でミズキがそれに触れる。

「ん、んっ…?」

どうするのかと思ったら、ミズキはその先端を掌でぐるりと撫でるだけだった。…焦らされている?
視線を持ち上げると、楽しそうに俺を見下ろしているミズキに気付いた。それ以上は何も進めようとしない。
…人で遊びやがって。俺はミズキの手を掴もうとした。

「おい、」
「駄目だ」
「ちょっと…!?」

けど、それでみすみす捕まるほどにミズキも甘くなかった。
俺は逆に手を掴まれて、まるで、…自分でする時みたいに、自身を握りこまされた。その上からミズキが手を乗せる。
そして俺の手ごと、ミズキは手を動かした。

「ちょ、ミズキ…!?嫌だ、これ…ん、ぅ…!」

やめるどころか深く口付けられて、抵抗の声も挙げさせてもらえない。
俺は自分自身の手によって早急に追い詰められた。溢れだした先走りのせいで掌がぬるぬるする。

「…蒼葉、自分で触ってて」
「――ん、はあ…っ、え…あ、あ!?」
「っ…と…」

ミズキは俺の脚を抱え上げて息を吐いた。久しぶりの酸素に肩で呼吸をしながら、自身を握りしめたままミズキを見上げる。
すると視線がぶつかって、ミズキは陶然と微笑んだ。

「…あ、」
「?」

急な羞恥に駆られて俺は視線を逸らした。恥ずかしいとか、全くもって今更なんだけど。

「ッん、…くッ…う…」

なんて考えているうちに、これまでありえなかった場所に、ありえない感覚が襲ってきた。足の間から恐る恐る覗き込んだそこには、ミズキが俺のそこ、に、指で触れている光景があった。
動揺しているうちに、指がゆっくりと侵入してくる。――冷たい。

「――ミズキ。何これ…」
「ローション」
「何でそんなもん…」
「…………」
「おい!…ッあ!?ば、か…そんな…」

初めての時は本当に入らないもんだとかいつか聞いたような気もするけど、ローションのせいか挿入は意外なことにわりとスムーズだった。少なくとも一本目は。あとは知らない。

「どう?」
「なんかすっげえ気持ち悪い…」
「らしいな」
「…他人事だと思いやがって……ん。」

入ってくるのも違和感があるが、出て行くのにも違和感があった。一本目が出て行った喪失感に微妙な気持ちを抱いていると、ミチ、と音を立てて二本まとめてねじ込まれた。
…一本から二本へは二倍じゃない!

「〜〜ッ…!!!!あ"あ、う、痛……!!?」
「こら、暴れんなって!」
「無理だっつーの!!じゃあ替われよ!!」
「ごめんって。男はちょっと勝手が…」
「も…」

俺はソファに思い切り背中を押しつけて歯を食いしばった。中に浮かせた足が強張って痛いけど、ねじ込まれる痛みと比べれば微々たるものだった。
こんなんで、ミズキのモノ突っ込まれたら俺どうなるんだか。そう思うとなんだか…

「――ハ、ハハ…痛ってえ…!」
「蒼葉?」
「もう、マジ意味わかんねえ…ホント、バカだよな…俺」
「え?」

俺は一度は解いた腕を、またミズキの首に回した。戸惑った表情のミズキが可愛くて、キスしようと背中を上げたら、誤って鼻にキスしてしまった。
それもおかしくてまた笑うと、ミズキはいぶかしげな表情を深める。ひとしきり笑ってから、俺はミズキに囁いた。

「ミズキ、いいよ」
「…?」
「痛くていいから。来いよ」
「けど…」
「いーから」

背中を持ち上げると、今度はちゃんと唇にキスできた。

「……待つのは飽きたよ。ばーか」

そう言うとやっと、ミズキは納得してくれた。

「ひッ!?あぐ、…ん、んん、は、…っ!!」
「蒼葉、やっぱ…」
「やめんな…ッ!ああ、ぅ…!!」

体をそこから、真っ二つに裂かれるような激痛だった。もう笑みを浮かべる余裕もない。ミズキもさすがにキツ過ぎるのか、辛そうな表情を浮かべていた。

「蒼葉、蒼葉…!く…」
「ミズ、きぃ…ああ!」

もうこのまま死ぬんじゃないかとすら思った。死因、セックスなんてバカすぎる。それも男同士のセックスで!?もしそんなことになったら、婆ちゃんがどんだけ悲しむことかわからない。
ならそんな危険を冒してまで、何でセックスするのかって?そんな理由はたった一つしかない。

「蒼葉!全部、入ったぜ…」
「…あ、ああ……ミズキ。動いてくれ…」
「お前。無理すんなよ。ちゃんと待つから」
「動けって!もう…良いっつってんだろ」
「お前…」
「あのなあ。言っとくけど俺は、全然気持ちよくねーよ」
「だろうな」
「だから、――そういうことじゃないんだよ。そうだろ?」
「蒼葉……」
「好きならさっさと…」
「〜〜〜!お前ホントバカだなあ…!」

噛み締めるように言って、ミズキは俺の足を抱え直した。そして俺を押さえつけて、無理矢理に出入が開始される。その度に、内臓を持ってかれて、腸壁を突き破られるような激痛が走った。
奥歯を噛み締めて足の指を折り曲げて、苦痛を堪えようと努力する。
すっかり萎えた俺のモノにミズキが手を添えたけど、あまり足しにはならなかった。――好きな人とするセックスは、良いとか悪いとかじゃない、と…俺は思う。

「駄目だこれ、死ぬ…!あはは」
「死ぬとか簡単に言うんじゃね、ぇよバカ!」
「だってこれホントに…くくっ。ヘタクソ」
「うるせーよ!」
「――…あ。イった…?」
「…っああ」
「そっか…」

ミズキは俺の中から出ていくと、凭れかかって、寝転がったままの俺を抱き締めた。血とか汗とか精液の匂いがする。
ミズキは俺の顔を覗き込むと、俺の額に貼りついた髪を払った。ついでにキスが、まず額に落ちて、鼻に落ちて、頬に落ちてから、唇に落ちた。

「…ミズキ」
「ああ」
「もう一回する?」
「しねーよバカ。休め」
「わかった」
「ったく…無茶しやがって…」

ミズキは俺の唇をぺろりと舐めてくすくす笑った。いつの間にか絡んでいた手が、精液でくっついている。…あんまりロマンチックじゃないな。


まあ小説じゃないんだから、こんなもんだろ。


BAD END




…それから一年も経たないうちに、ライムはすっかり下火になった。

今でも度々卯水は出現するが、誰も彼も見ないふりをして通り過ぎるばかり。あれほどライムが人気だったなんて嘘みたいだ。俺のバイト先の平凡でも、ライム用パーツの問い合わせを受けることもとんとなくなった。

ライマーが激減したのだ。
知ったかぶりの大人たちは、若者たちはもうライムに飽きて、また新しい遊びに夢中になっているんだろう、と嘆くポーズを取ったが、真実はそうじゃない。
この旧地区に来たのは新しいムーブメントじゃない。

来たのは、残酷な殺人鬼たちだ…

――ライマー狩り。

強い奴も弱い奴もえらい奴も下っ端も、ライマーなら無差別に殺された。

一番有名なのは、あの有名なライムチーム、ラフラビットが壊滅させられた件だろう。
無惨に殺されたラフラビットのリーダーの画像は、スパムメール的にライム界を駆け巡った。
きっと旧地区の若者なら、誰でもその画像を見たことがあるんじゃないかな。あまりにもセンセーショナルなその情景は、若者のライム離れに拍車をかけた。

けどそのメールもしばらくすれば、若者たちに取って過去のものになる。ライムチームはその間も続々と潰されて行った。
別にカンケーないよ。と新しい遊びを探す若者たちのすぐ側で。警察もヤクザもやっきになって犯人を捜したらしいけど、まだ犯人が捕まったという話は聞かない。

このままライムは、若者たちから忘れ去られていくように見えた。けどそうじゃなかった。
気まぐれな若者たちの次の関心を引いたのは、とあるネットへの書き込みだった。
書き込みはラフラビットの団員を名乗っていた。殺された仲間の下に潜りこんで、死んだふりをして逃れたのだと言う。

書き込みはこうだ――


『俺はライマー狩りの犯人を見た。
あの冗談みたいな虚構みたいな殺人鬼を。
あいつらを殺してくれ!
あの、リブスティーズ、モルヒネのタグアートをした二人組みだ!』


その後何が起こったと思う?ライマー達には最上級の皮肉だった。

この一年で、旧地区のリブスティーズ人口は急騰した。ライムに流れていた奴らも、またリブスティーズに戻ってきている。
薄暗い路地では、日夜リブスティーズたちが縄張りを巡って争い合う。まるで動物みたいに獰猛に。

もしあんたが物好きの阿呆なら、カラフルな思い思いの刺青を背負った彼らにインタビューしてみたらいい。

『今一番、最高にホットでクールでクレイジーなものは?』

十人中十人がこう答えてくれるから。


「リブスティーズだよ!それもモルヒネだ!いつかモルヒネに巡りあって、チームメイトにしてもらうのが夢なのさ!」


街角の聞き飽きたインタビューを小耳に挟んで、俺は大通りを駆け抜けた。人々は擦れ違う度に詮索の視線をぶつけ合う。
――お前は何者だ?俺の敵か?
オートメイトを連れているやつも今では随分少なくなった。ライムがなくなったせいだろうと思う。足元に気を付けて走らなくていいから楽でいいな。
用途を無くしたオートメイトたちは廃棄される。感情があったってそれは消耗品で、業者に頼めは感傷ごと引き取ってくれる。
まあ、俺には関係ないよ。日夜大量に廃棄されるオートメイトたちが、今や社会問題になっていても。

そういえばそう言う俺も、蓮を家に忘れてきてしまった。…まあいいや。歩きなれた道に、わざわざナビは要らない。
もう何日もスリーブしっぱなしだし、メンテナンスもしてないけど、…まあ、いいだろ?


「蒼葉さん!どうも!」
「どーも!」

俺は走り抜けながら、声を掛けてきた男に手を振った。確かドライジュースのメンバーのはずだ…名前は知らないが。
ドライジュースもメンバーが増えすぎて、そろそろ把握できていない。

ミズキはプラチナ・ジェイルから旧地区に戻った後、ドライジュースを再始動した。中にはモルヒネの件のせいで抜けていった奴もいるけど、最近のリブスティーズブームのせいで結果的にドライジュースのメンバーは激増している。

まあ、人のことは言えないんだけど。リーダーのミズキたっての希望で、俺もやっとドライジュースに入った。


「ミズキ!」
「蒼葉、いらっしゃい」
「やあ。蒼葉くん」

ミズキの店に入ると、先客があった。青の着流しに、蛇みたいな顔をした刺青の男。

「竜峰さん!なんで…」
「ちょっと用事があったから、ついでにね」

竜峰さんはにっこりと笑い、俺をソファへと手招いた。俺が隣に座ると、竜峰さんは、おや、とばかりに眉をあげる。体温の低い指が、俺の左頬をなぞった。ミズキが誇らしげに笑う。

「やっと彫らせてくれたんです。俺とお揃いなんですよ」
「へぇ。いいじゃない」

竜峰さんが微笑ましそうにくすくす笑った。
そう、俺の左頬にはミズキと同じティアドロップの刺青が入っている。俺がミズキのリブスティーズに入った時に、タグアートと一緒に入れた。

「いいなあ。俺も蒼葉くんに彫ってみたい」
「すいません…俺はミズキにしか、ちょっと」
「残念だなあ。相変わらず仲良しなんだね」
「ええ、まあ…」

…何だか照れ臭い。
何を話したものか困っていると、ミズキが飲み物を持ってきた。ミズキは飲み物を置いて俺の隣に座ると、俺の体を竜峰さんに向けさせた。

「刺青、ここだけじゃないんですよ」
「ちょっと、ミズキ…」
「いいじゃん。嫌か?」
「嫌って言うか……恥ずかしいんだけど…おい、ミズキ!」

ミズキの手は既に、俺の服の合わせ目に掛かっている。俺はかあっと顔が熱くなるのを感じた。

「いいじゃない。見たいな。見せてよ」
「竜峰さん!」
「いいだろ、蒼葉」
「もう…好きにしろよ」
「ありがとう」

ミズキは俺の肩口に頭を埋めてくすくす笑った。その間も後ろから服のボタンが外されていく。
露わになった肌を、竜峰さんの視線が這った。

「…お見事」

それはお世辞ではなく、本心で言っているように俺には聞こえた。

今、俺の体には、左胸を中心にミズキのデザインした幾何学模様が入っている。トライバルとか言うんだろうか?
刺青は細かい線がうねるように絡まり合い、下腹部まで伸びてずっと下まで続いている。

「…蒼葉」
ミズキが俺のズボンのベルトに指を触れていた。小さく頷いて返す。ミズキは俺のベルトを外すと腰を浮かせて、下着まで全部脱がせた。


「――蒼葉、綺麗だよ」
「…うん」

ズボンを脱げば、胸から始まった幾何学模様は太腿を通って足首に絡まっていた。まるで足枷みたいに。
竜峰さんは俺の刺青を舐めるような視線で見ていたが、やがて顔を上げてミズキに笑いかける。

「腕を上げたね。俺はもう言うことはないよ」
「ありがとうございます!」

ミズキは誇らしそうに笑って、俺の肩を抱いた。ミズキが嬉しいと俺も嬉しい。
つられ笑いを浮かべた俺の首筋に、柔らかいものが触れた。それがミズキの唇だと気付いたのはすぐ後だ。ミズキは俺の顔を自分の方へ向かせると、今度は唇にキスをしてくる。

「おやおや」

竜峰さんが苦笑している。俺が慌てて身を離そうとするのを、竜峰さんは手で制した。

「どうぞ続けて」
「混じります?」
「ミズキ!」
「いや。俺はここで見させてもらうことにするよ。君たちの刺青がどんなふうに燃え上がるのか…」

ミズキが服を脱ぐと、そこには俺と同じ刺青が彫り込まれていた。そのトライバルは、右胸を中心としている。


「そうしていると、二匹の蛇が睦みあっているみたいだね…」

着流しの前を寛げた竜峰さんが、自身を慰めながら荒い息を吐いている。
…二匹の蛇か。確かに、二本の長い墨が絡まり合っている様子はそんなふうに見えるかもしれない。だけど、これが本当に指すのはそうじゃない。

「これ、心臓なんです。竜峰さん」
「心臓?」
「心臓の幾何学模様なんです。俺たちたった二人のリブスティーズの、タグアートなんです」
「…へぇ?」

くくく、と竜峰さんは喉を鳴らした。竜峰さんの手が伸びてきて、俺の頬のティアドロップに触れ、それから左胸のタグアートをなぞる。

「やっぱり君たちだったんだね…予感はしていたよ」

竜峰さんは屈み込むと、蛇のように長い舌で俺のティアドロップをねぶった。すると対抗するようにミズキが俺に覆い被さって、右頬にキスを落としてくる。
俺とミズキの合わさった胸の間で、二つのタグアートが一分の狂いもなくぴったり重なった。例え竜峰さんでもこうは彫れないだろう。これは、世界でたった二つだけの特注品なんだから…


俺たちたった二人だけの、モルヒネのタグアートが。