それは何でもない――それでいて珍しい、ある午後に起こった。
ボスになった俺の執務室のソファには、イヴァンとジュリオとルキーノが腰掛けている。ベルナルドは所用で外しているが、ここのところ数週ぶりに、四人の幹部のうち三人が俺の部屋に集まっていた。それも別に何か仕事をするでもなく――思い思いに寛いでいた。ルキーノは本を読んで、イヴァンはうつらうつらして、ジュリオはナイフを弄ったり俺の世話を焼いたりしている。かく言う俺も何をするでもなく、書類を閉じたり開いたり、髪を弄ったりガムを噛んだりしていたわけで。
びっくりするぐらい、平和な午後を俺たちは過ごしていた。今から思えばあれが、嵐の前の静けさと言う奴だったのかと思う。
凶報が届いたのは、時計が16時を示す頃だった。
バンバンと激しく扉がノックされる音で、俺はデスクから飛び起きた。
「――ぇ、あ。何!?」
「わかりません。ジャンさん、静かに――俺が行く」
ジュリオはイヴァンとルキーノをちらっと見て言った。イヴァンとルキーノは頷いて返しながら、既に服の中から銃を取り出していた。俺も慌てて真似をして、服の中のホルスターから銃を――ってアレ、空じゃん。どうしたっけ?
「――どうした」
ハッと顔を上げれば、ジュリオが扉の前に立って、その向こうへ声を掛けている所だった。ただでさえ鋭い横顔が、緊張にか更に硬度を増している。
「合言葉は」
ジュリオは真面目な面持ちで聞いた。俺は思わず、えっと呟いてジュリオを見た。ジュリオが一瞬俺を見て笑い、それからまた扉を透かすように目を細めた。
扉の向こうの誰かが、焦った響きのある声で何行分かの言葉を発する。すると室内の緊張は急に解けて、イヴァンとルキーノも銃を仕舞った――おいそんなもんいつ作った。ジュリオが扉を開ける。
「…あ、お前ベルナルドのとこの……」
「はいボス。突然申し訳ありませんが、緊急です!」
「緊急?」
黒服ははい、と頷いた。ベルナルドのとこのンは、スーツをきっちり着こなした色男がウリのはずだが、その黒服のスーツは酷く乱れていた。――それだけ慌てて来たってことか。不穏なものを感じ取って、俺は椅子から腰を浮かせた。
「話してみろ」
幹部たちも同じものを感じているらしく、どこか表情が強張っているのが見える。そして黒服はこの、緩みきっていた室内に――穴が開きそうなほどの、爆弾を落とした。
ガン!!と何かが叩き付けられる音がして俺はハッとした。
「あ――…?」
いつの間にか少し、意識を飛ばして居たらしい。腕時計を見ると、16時半。…何が、あったんだっけ?
「…おい、ジャン!」
ガン!と再び同じ音がして、俺は顔を上げた。するといつの間にか、目の前にイヴァンが立っている。どうやらこの音は、イヴァンがデスクを叩いた音らしい。
「大丈夫か」
「……エ。何が?」
「お前がだよ!!お前、30分も人形みたいに、黙って――」
「え。まじ?何ソレコワ。ビョーキ?」
「笑い事じゃねえよ!ちょっと待ってろ」
イヴァンはデスクから離れると、扉から顔を出して「おい!ジュリオとルキーノにジャンが起きたって伝えとけ!」と叫んでいる…どゆこと?イヴァンはそれだけ言うと、またデスクへと戻ってきた。
「お前今日は、ここに待機」
「ハア?」
「トイレなら付いてってやるしメシもここに運ばせる。女がいるならデリバリーする」
「――ちょ。ハ、…ハア??イヴァンちゃんちょっと、解るように話して?」
英語かイタリア語でおk。しかしイヴァンは舌打ちしただけだった。
「…彼奴のとこにはジュリオとルキーノが行ってる。危険かも知れないから、とりあえずせめて今日は行くな。気になるだろうが――」
「………ア?あの、何のハナシ?」
「お前な――……て、おいまさかお前。覚えてないのか?」
「だから、何」
イヴァンはぽかんとバカ面を晒した後、痛々しいふうに眉を歪めた。「…覚えてねえのかよ」って言われても何がだよ。「無理もねえ」って納得すんなよ。
「ジャン、落ち着いて聞けよ」
「別に落ち着いてンだろーがよ……」
「――ジャン」
不意にイヴァンは真面目な声色になった。思わず身を固くしてしまうくらいに――イヴァンは「落ち着いて聞けよ」と二度押しした。…何だよ。何があった?
ここで突然、ホルスターの中が空なのを思い出した。妙にスカスカして落ち着かないが、一体どうし――ああ、お守りってんでベルナルドに貸――……ア。えっ?
「ベルナルドが―――………」
ここで意識はもう一度途絶える。
***
目蓋を開けば、そこには天井があった。それを見つめてぼんやりしていると、背中の下に何か柔らかいものがあるのに気付いて、――ああ、ソファで寝ていたのかと理解する……――と同時に俺はソファから飛び起きた。
「ベルナルド!?」
「起きたか、ジャン」
ハッと顔を向ければ、向かいのソファにルキーノが座っていた。
「ルキーノ…」
「俺で悪かったな」
「いや――あの」
「良い。…ベルナルドはまだ病院だ。ジュリオが残ってるから大丈夫だろう。イヴァンは兵隊に車を点検させてる」
「点検…」
「そうだ」
ルキーノは疲れた風に笑うと、首元のネクタイを緩めた。それでやっと楽になった、と言う風に深々息を吐いて、コキリと首を鳴らす。ルキーノは腕時計を見て、「――18時か」ソファを立って扉から顔を出す。「一人来い」バタンと扉を閉めて、一分もしないうちに再び扉が開いて黒服が入ってくる。
「もう一度病院へ行く。車を――それとボスを見てろ」
はいと頷いた黒服が出ていって、再び扉がバタンと閉まる。黒服に乱れた服装を見せるなんて、らしくなさすぎる。
「ルキーノ」
「駄目だ」
「何でだよ!」
「危険だからに決まってるだろう!来るな絶対だ」
「ルキーノ…!!」
「五月蝿い黙れ。俺はお前をソファに縛り付けてもいいんだ。――させないでくれ、そんなこと」
「ルキーノ…」
ルキーノは「悪い」と呟くと、眉間を指で押さえた。
「ここに居てくれ――頼むから。お前は俺たちの頭だ、俺たちはお前の尻尾だ。切り落としたって――」
「それ以上言ったら殴り飛ばすからな」
「悪い…でも本当だ。お前はカポなんだ。ジャンカルロって情深い人間である前に俺たちのカポなんだよ――自覚と、覚悟を」
「…………」
沈黙を見計らったように、外から扉がノックされた。「入れ」とルキーノが言えば、先程の黒服が扉の隙間から顔を出す。
「準備ができたか。今行く」
黒服がまた去って、ルキーノはまた息を吐いた。きゅっとネクタイを閉め直して、ルキーノは俺を見下ろす。「明日の早朝、連れて行ってやるから寝てろ」
「…ルキーノ。お前一回、ベルナルド見てきたんだろ?――彼奴の、容態は?車が…」
「……ジャン」
「何言われても傷付かないから、言ってくれよ」
「もう傷付いた顔して、何を言うか――」
ルキーノは苦笑すると、俺の足元に膝を付いた。俺よりもずっと大きい掌が、俺の頭に乗せられた。
「大丈夫だ。命には別状がないらしい――…でも、な」
「…………」
「右腕はもう、駄目だろうってよ。お前も覚悟しておけ」
「……誰が」
「…まだ、……わからん。だが安心しろ。すぐ見付け出して自殺したいくらい後悔させてやる。俺たちに喧嘩売った馬鹿野郎をな」
ルキーノは強気な笑みを――無理に作ったと判る――浮かべて、俺を励ますとまた立ち上がった。
「明日の朝には車の点検も済むから、いつものリンカーンで見舞いに行けるさ。だから今日はもう休め?お前が目に隈なんか作ってたら、心配性のお前のダーリンが俺たちを皆殺しにする」
「アホ。彼奴にそんな体力があるもんか」
「それもそうか…ハハ。行ってくる」
「――ルキーノ!」
いきなり大声を出した俺に、ルキーノはぎょっとしたらしかった。俺はソファから腰を上げて、不意討ちの続きとばかりにルキーノを抱き締める。
「怪我するな、命令だ。もし破ったら、全裸でデイバンを行進してもらうからな」
「――怖いな…ハハ、ハ。シニョーラに何て言われるか」
「ヤだろ。――お前の車は?」
「大丈夫だったそうだ」
「そうか…」
俺はルキーノから身を離すと、その背中をバンと叩いた。
「気を付けて行ってこいよ。擦り傷でも作ってこい?お前の沽券汚してやるから」
「やめろバカ。良い子に寝てろよスイートパイ?そしたらお菓子をくれてやる」
「ワオワオ。ボクイイ子にしてるうーー」
「アホか」とルキーノは笑うと、また俺の頭を撫でて、やっと部屋を出ていった。俺は一人取り残されてソファに腰を下ろし、窓を見た。
ここは――四階だったか。…せめてここが二階なら飛び降りられたのに――しかしここが二階だったとしても、ルキーノにあんなことを言われた後じゃできなかったろうが。
「ベルナルド…」
俺に出来るのはもう、祈ることだけだった。ソファを立ってデスクを引っ掻き回すと、引き出しの奥から一個ロザリオが出てきた。それを慌てて首に掛けて、形見のリングと一緒に掌に握り込んだ。
「――頼むよ、カミサマ……」
リングが体温に温くなるくらいに、ぎゅっと握る―――こんなことなら、もっと真面目に信じてれば良かった。そしたらこんな、BADなことにはならなかっただろうか――わかんねえけど。
――ベルナルドの車に、爆弾が仕掛けられていて…
――運転していた黒服は即死…
――ベルナルドは命は無事だったが…
――右腕と左目を、喪ったらしい……
「ベルナルド、――ああ、くそッ!よくも、ああ…――殺してやりてえ――!」
犯人を――…!この手で、何度も殴って、刺して、蹴って、生まれたことすら後悔させてやりたい…
ルキーノは命は別状がないと言ったが、如何せん彼奴は俺に気を遣う。思いやってのことだとは解っていたが、今日ばかりは妙に腹立たしかった――…八つ当たりだ。自分の目で見なければ、納得なんかできない。
「頼む、無事で――……」
***
車は早朝のデイバンを滑るように走っていた。車は俺のリンカーンではなくイヴァンのセダン。その運転席にはイヴァンが座っていた。
何故リンカーンを断念し、その上イヴァンのメルセデスでもないのかと言えば、爆弾はベルナルドが乗っていたものにだけではなく、俺のリンカーンとイヴァンのメルセデスにも仕掛けられていていたからだった。
リンカーンとメルセデスなんか高級車だから、一発で幹部のものだと解ったんだろう。
ベルナルドの乗った仕事用の車に、爆弾が仕掛けてあったのは敵の気紛れとしか思えず、ベルナルドについては運が悪かったとしか言えないらしかった。止めっぱなしのベルナルドのアルファロメオにも爆弾は仕掛けられていたが、ルキーノの車はたまたま奥に停めてあったため無事だったらしい。
「――イヴァン、もうちょっとスピード出せないのか?」
「これで精一杯だ…!ここで無駄にポリにしょっぴかれてみろ、病院に行くのが無駄に遅くなる」
「わかるけどよ――今ポリ、居ねえじゃん。もうちょいくらい…」
「今でギリギリだ!焦ンのはわかる良くわかる。でもここで無茶すンのはクールじゃない、そうだろ?」
「わかるけどよ…」
「けども何もねえ!大人しく――祈ってろ」
「…………」
――俺は一度浮かせた背を、またシートに押し付けた。すると服の中で、ロザリオとリングがぶつかって微かな音を立てた。イヴァンがバックミラー越しに俺をちらりと見たのがわかる。俺は服の中から、ロザリオとリングを取り出した。
「――ジャン。一個だけ頼みがあるんだが、良いか」
「………なんだ」
バックミラーの中のイヴァンが、辛そうに唇を噛んだ。
「ンなこと解ってるって言われそうだけどよ。――車降りたら、シャキッとしてくれ。掠り傷の見舞いに行くみたいな気持ちでよ…」
「…………」
「――お前の神は、別に居ていい。キリストでもシャカでもヤハウェでもゼウスでもよ――…でも俺たちが、祈っていいのはお前にだけだ。お前が俺たちの神だ、――わかるよな」
「神……?」
「ああ」とイヴァンは頷く。
「俺たちの世界はお前で回ってる。信じられる神で居てくれよ――俺たち幹部はお前が人間だって知ってるけどよ、せめて部下の前では頼む」
「……神、か」
「悪いな」
「――いや、いいよ。ありがとう」
俺は掌に目を落とすと、ロザリオを握りしめ掛けて――やめた。ロザリオとリングの二つを服の中に仕舞い直して前を向けば、病院はすぐそこだった。
***
「ジャン、さん――無事で…!」
「おお、ジュリオおつかれ」
「はい俺は――ここに居た、だけですから」
「俺も車ン中いただけだもん。安全確認も終わってたしさ」
――ベルナルドも車の中に居ただけだったのに。どうしようもなく苦いものが込み上げてきたのを、俺は何とか嚥下して、黒服たちを下がらせた。今は病室の前、ここには俺とジュリオだけになった。
「今、ベルナルドは起きてます――寝てた方がいいんですが、貴方が来ると言ったら」
「…へえ。そうか……愛されてんな俺――ジュリオ」
「はい」
「悪いんだけど、…お前も下がってくれ」
「え………」
ジュリオはあからさまに傷付いた顔をした。
「でも、危険です」
「わァってるよごめん。ちょっとだけ、離れてて欲しいんだ。二人だけにしてくれ」
「病室に入らなければ――」
「誰にも聞かれたくないんだよ。……我が儘、きいてくれ」
「…………」
「ジュリオ」
俺は手を広げると、ジュリオをぎゅっと抱き締めてやった。ジュリオがぎょっと硬直したのを、更に抱き締めてやる。
「――わかるか?…俺、震えてる」
「ジャンさん……」
「俺は絶対、取り乱す。何するかわかんねえ。泣くか怒るか暴れるか…何にしろ、カッコ悪いことになる。お前のカッコいいボスで居たいんだ――頼むよ」
「…………」
ジュリオは徐に、俺を自分から引き剥がした。ジュリオは俯いていて、前髪のせいもあって表情が伺えない。「ジュリオ…?」声を掛けると、ジュリオはやっと顔を上げた。
「わかりました――離れてます」
「ああ、ありがとう」
ジュリオは踵を返すと、廊下の奥へと消えて行った。その背中を見送ってから、俺はドアノブを握る。
「ハハ――震えてら」
俺は勇気を振り絞って、ドアを開けた。
***
「よく、――来てくれたな。煩わせてすまない」
「何言ってんだバカ――…当然だろうが」
「ああ…そうか。ありがとう」
俺は後ろ手にドアを閉め、鍵も閉めるとベッドの側へ歩み寄った。真っ白なシーツに広がったベルナルドの緑の髪が鮮やかだった。見ているうちにベルナルドが、ベッドの上に身を起こそうとする。俺は慌ててその背を支えた。
「悪い、な――ッと。どうも、上手く行かない。やっぱりこれまで通りには…」
「…………」
「…そんな辛そうな顔しないでくれ。死ぬ訳じゃないんだから…」
そう言って苦笑したベルナルドのシャツの、右腕は不自然に平坦だった。額から左目にかけても、ぐるぐると包帯が巻かれている。眼鏡は掛けていなかった。事故の時に、割れたんだろうか。
「――ベルナルド」
「うん」
「……――ないのか」
「…………」
「右腕、なくなっちまったのか?」
「…………」
ベルナルドは、肺の中の空気を吐ききるように息を吐いて――「そうだよ。ないんだ」と言った。
「俺が悪いんだ――お前に一個、隠してた」
「………ハ?」
「脅迫状が来てたんだ。CR-5宛にね」
「――ハア??そんなん聞いてな…」
「言ってないもの。俺たち幹部のところで止めてた」
「んな……ッ!!??」
「本当に……すまない」
ベルナルドは深々と頭を下げた。「やめろよ!」と俺はその体を起こそうとして、腕を掴めない事実に戸惑った。…それを、察したのだろうか。ベルナルドは苦い笑みを浮かべて、肘までしかない腕を撫でた。
「内容はとても稚拙で、タダの悪戯だろうと俺が――押し切った。もしそうでも、俺たちで十分処理できるってね。脅迫状の日付は昨日で、だから幹部をお前の側にいさせて合言葉なんかも作ってみたが――敵も意外に頭が良かった。俺の認識能力の甘さか……だから、自業自得なんだよ。お前に余計な心配掛けたくなかった、って言うと言い訳になるけど」
「…………」
「腕の一本くらい、なくったって俺はヘーキさ。運が悪かったんだろう……おい、そんな顔しないでくれ。そんな――」
ベルナルドの右肩がぴくりと動いて、ベルナルドはハッとした顔で腕を見た。でもすぐに泣きそうな笑みに変わって、ベルナルドは残った左腕で、俺の腕に触れた。…右手で、触れようとしたんだろう。
「――泣きそうな顔、しないで?」
「アホか、お前…」
「ちょっとこら、何で泣くかな…駄目だってほら、笑って、ジャン」
「これが、――なんで…」
泣かずに、いられるかってんだ。自分の方が泣きそうな顔、してるくせして。
「俺の自業自得なんだから、お前が泣く必要ないんだって」
「そう言う問題じゃないだろ!?――お前、俺が怪我したらどうする」
「まず取り乱す」
「そうそれだ。だからこれはその――」
「それなんだよ」とは嗚咽で言い終えることができなかったが、正しく伝わっただろうか?――そうだと良い。そうでないと困る。みっともなく涙と鼻水をぼたぼたたらしながら、ベルナルドの右袖を掴めばやはり何もなかった。綺麗だった翠の瞳も、今は片方ないと言う。――ああ、カミサマ。この程度で済んだのか?これほどまでになったのか?
「……ジャン。側に――」
ベルナルドが俺の腕を、頼りない力で引いた。右袖から視線を移せば、ベルナルドが緊張の面持ちで俺を見上げている。
「もっと、側に、…来てくれないか?眼鏡を無くしてしまって、それで……そう、もっと近くに。顔を見せて――」
屈み込んだ俺の頬を、ベルナルドが左手で包んだ。その左手が首筋を下りて、ぎこちない動きで背中に回される。俺はいたたまれなくなって、両手でベルナルドを抱き締めた。俺の肩口にベルナルドが頭を埋める。
「――腕、一本分さ。お前のこと抱き締められなくなっちまった。一本分、お前に触れられない――……ああくそ、神様…」
「ベルナルド…」
「ジャン教えてくれ。俺は右腕がなくても左目がなくても、正しく『ベルナルド』で居れているか――?正しく、俺はお前を…」
「うるせえ!お前はお前だろ、柄にもないこと言うんじゃねえ……ああ、」
震えるベルナルドの背を撫でてやりながら、俺はロザリオを投げ捨てたい衝動に駆られていた。何が神だ、知ったことか。カミサマがもしいるんなら、どうしてこんなことになった?
背に回されたベルナルドの手が、皺になりそうなほど固くシャツを掴む。熱い滴がシャツの襟を濡らすのを、不快だとは思わなかった。押し殺された嗚咽を皮膚を通して聞きながら、俺もまた唇を噛んだ。
「…ジャン、済まない。お前の銃も、無くしてしまって…」
「そんなんどうだって良いよバカ…!また買えばいい。変な気使うな!…今度一緒に買いに行こう」
「今度?」
「お前のソレが、…塞がったら一緒に、サ?嫌じゃねえよな?」
「命令か?」
「ちげえよバカ。提案…」
「――命令、して」
「…………」
ベルナルドの指が、もがくように俺の背を掻いた。ツキンとした痛みに思わず仰け反るが、声は挙げなかった。
「命令して、縛って…俺のこと、独占して。傍に居ろって言って。腕なんか目なんかなくても、構わないって…――言って。お前の傍に居ろって言えよ。頼むから。本当に…」
「…ベルナルド」
ベルナルドはそれきり、黙った。時々嗚咽に喉を鳴らすくらいで、それ以上何も言わない。「――ああ、わかったよ」俺はベルナルドを、折れてしまえとばかりに抱き締めた。
「全部俺のもんだ。血の一滴も細胞の一個まで俺の――…もう、誰にもやらねえ。傍に居ろ。命令だ。逃げたら腕一本じゃ済まねえからな。この…」
「ジャン…」
「――勝手に怪我してんじゃねえバカ!!!…もっと俺を頼れ…!」
「ッ……く……」
一つ大きくしゃくり挙げたのが聞こえて、それからまた静寂が落ちた。やがてベルナルドが顔を上げ、俺はベルナルドの瞼に口付けを落とす。塩辛い。頬を下りて唇を舐めれば、そこは血の味がした。口内も。『血の盟約』と言う言葉がふっと浮上してすぐに消える。
更に、と身を寄せた時、服の中のロザリオがチリンと音を立てた。水を差されたことに腹を立て引きずり出して、手の中のそれを見詰める。目を伏せた殉教者の顔。貴方が――神か?ふと、脳の焼き切れそうなほどの怒りを覚えた。
顔を上げれば、ベルナルドも俺の手元を覗きこんでいた。「…ベルナルド、お前の神は――」言い終わるよりも早く、手の中からロザリオが消える。ベルナルドの手の中のそれが、ゆっくりと支えを失い――床にぶつかって音を立てた。
「――お前だ。俺の、全部――」