「ほう。中々似合うではないか」
玉座に腰掛けた王が、満足げな笑みと共に男を迎えた。
「そら、どうも」
男は王へ肉食獣の笑みで返すと、腰に手を当て軍帽の鍔をちょいと持ち上げて見せる。
「閣下、って呼んだ方がいいかい」
「好きに呼ぶがいい。じゃあ私もお前を、久藤中尉と呼ぼうか?」
「俺は中尉かよ」
「不満か?そのうち出世させてやるさ」
そのうちねぇ。
久藤中尉――……久藤鴇也だったそれが、溜め息を吐きわざとらしく肩を落として見せた。
「あんたのそのうちってのは、一体何百年後のことなのやら」
「そう拗ねるな。別にお前を過小評価している訳ではない――訂正しようか?久藤中佐」
「大出世だな!?」
俺は心が広いからなァ。
なんて王は、バルドゥイン・シュヴァルツェンベックは頼もしく笑って見せる。
…突っ込めないのが宮仕えの悲しさよ。
鴇也はあーはいはい広いまるで琵琶湖のように広いと適当に頷いて見せ、…内心では中佐かよ、と思う。
「ビワコか…また微妙な広さだな……」
「あんたは琵琶湖disってんのか!!琵琶湖舐めてんのか!!琵琶湖すげーんだぞ!!ブルーギルとかいるんだぞ!!洗剤じゃなくて石鹸なんだぞ!!」
「良く解らないが解った…」
バルドは釈然としない面持ちで小さく頷いた。鴇也は腕を組んで、全くもう、なんて溜め息を吐く。
白軍服のバルドと、黒軍服の鴇也。相反する二色のコントラスト。
早々に機嫌を直したバルドが、鴇也を見上げにやりと笑う。
「背格好があまり変わらないからな。似合うだろうとは思ったが、予想以上だ。
ま、俺には到底及ばないが?」
「何言ってんだ。こう言うのはピチピチの18歳である俺の方が断然似合ってるに決まってんだろーが」
ヒエラルキーの頂点。人の形をした悪意。災厄の権化。
忌み、畏れ、讃え、そして唾棄すべき鬼の中の鬼。王の中の王。
自分以外の全てを平伏させるために生まれてきたと言っても過言ではないそれに対しても、鴇也の態度は変わらない。
笑いたければ笑う、怒りたければ怒る。それどころかへつらうことを馬鹿らしいとすら思っている。
そんな鴇也の態度を無礼千万だと苦々しく思っている者も数えきれずいるのだが、他ならぬ、そう。
「人間を止めたところの、小僧が良く言う」
鬼の王、バルドゥイン・シュヴァルツェンベックはその麗しい唇を釣り上げて、白い喉をくっと鳴らした。
笑んでいるのは唇だけではない。目の奥だって、しっかり笑っていた。
「年甲斐もなく妬いてんじゃねーよ!!羨ましいのか!!若さが!!」
ふん、と鼻を鳴らした鴇也をじっと見て、王がまた悠然と笑む。
「そうかもしれんな」
「そうだろうそうだろう!!」
「だからお前は面白い」
「……はあ?」
「解らないとは、餓鬼だな」
「うっせえよ年寄りが」
***
ばた―――ん………
ドアの閉まる音が、長い廊下に幾重にも幾重にも反響する。
人っ子一人いない、ただっぴろい、薄暗い廊下。
リフォームの匠が来たならソッコー破壊して有効活用しようとするような無駄空間。天井だって無駄に高いし。
鴇也は軍帽を小脇に抱えると、ネクタイを緩めて息を吐いた。軍帽を被るに際して、軽く固めていた髪も手袋の指先で乱す。
胸の中にはなにやら、苦い気持ちが渦巻いていた。
天井を見上げてまた息を吐き、顔を戻「よう、良い男振りじゃねえか」思案も何もかも、いきなりぶち壊しにされた。
目の前には、……いつの間にか男が立っていた。手を伸ばせば掴めるほど近くに、気配もなく。
「それ、バルドのか?へー。結構似合うじゃねえの」
鴇也の意表を突けたことに胸がすっとしたらしいジギスムントが、にやつきながら品定めするように鴇也をじろじろ見た。
鴇也はどうにか気持ちを落ち着けると、舌先で唇を湿らせ口を開く。
「…あんたの女っぷりの良さには負けるよ。今度抱いてやろうか」
「あ?抱いてくれの間違いじゃねえの?まあ、安心しろよ。俺はテメエのケツになんざこれっぽっちも興味ねえからなあ!!!」
ジギスムントは高々と中指を突きつけて喝々と笑った。…伊達に歳食ってねえな、と鴇也は内心肝を冷やす。
人間にはここまで完璧に気配を消すことなどできない。
ジギスムントと戦ったとして、力業なら負ける気は全くしないがもし今のように、完璧に不意を突かれたとしたら?
…勝つ自信があるとは言えない。
鴇也とて喧嘩の場数なら数え切れないほど踏んでいるのだが、ジギスムントの数百年分と比べれば全く及ばないだろう。
しかも鴇也が戦ってきたのは人間……人外と戦ったことなぞ、ほぼない。
「どうしたァ、急に大人しくなっちまってよーブルッちまったのかァ?チビッちまったのかァ?」
ジギスムントは優越そのままに笑うと、鼻先が触れそうなほど近くから鴇也の目を覗き込んだ。
無遠慮な視線が、鴇也の中のにんげんを引きずり出そうとする。
「とーきーやーちゃんよォ。無視は良くないぜーお兄ちゃんとお喋りしましょォ!
それともママが知らないお兄ちゃんと喋っちゃいけないって?…なァんて、俺達お友達だろーヒャハハハハハハハハ!!!!!」
薄暗い中、ジギスムントの瞳が煌々と輝く。心の底まで浚ってしまえそうな鋭い輝き。
…残された、にんげんのぶぶんが、恐れおののく。目を逸らせと警笛を鳴らす。
――だが、しかし。
「……臭え」
「あ?」
「臭えんだよ、…息が。そんなんじゃキスもできやしねえ」
ぴし。ジギスムントの笑みが凍り付く。
「しっかしバルドも大概変態だよなァ…コスチュームプレイ?これがほんとのコスプレ?に興味でもあるわけ?なあ」
鴇也は唇が裂けそうなくらい深く笑うと、じろり。
ジギスムントの瞳を覗き込んだ。見えるのは、わざわざ深く潜るまでないほどの――……怒り!
「ちょっとバルドに気に入られてるからって調子乗ってんじゃねえぞてめえ!!しぶとい身体になったこと死ぬほど後悔させられてえのかァ!!??」
「男の嫉妬は醜いねェ?まあ、安心しろよ。俺ァバルドのケツにゃアこれっぽっちも興味ねえからよォ」
「て・め・え……ッ!」
初めは驚いた。それから熱いと思った。目をひんむいたジギスムントが無様だと思った。
「ムカつくんだよ、てめえはよォ!!!!!」
ジギスムントがもう一度、銃の台尻で鴇也のこめかみを強かに殴った。呆気ないほど簡単に裂けた皮膚からこんこんと血が湧きだす。
「……殺してやる」
がつん。叩き付けるように、頭へ押し付けられる銃口。
「殺せるのか?俺を?」
「……あ?」
「大好きな王様に、何て言われるかなァ?」
「――うっせえんだよ!!立場わかってんのかてめえ!!ああ!!??」
ジギスムントは銃口をごりごりと押し付けはしたが、しかし引き金を引こうとはしなかった。
「引けないよなァ??引いたら嫌われちゃうかもしれないもんなァ??裏切りだと思われちゃうカモ??」
裏切り、と言った瞬間、ジギスムントは酷く苦い表情を浮かべた。
しかしその理由は鴇也には解りはしない。ただ好機だと思う。
「ジギスちゃん、バルドの言うこと聞いて偉いねぇ?ひゃはは、……おら、撃ってみろよ。外さねえだろ?ジギスちゃんが幾らヘッタクソでもさァ……?
それともジギスちゃん、突っ込んでても外しちゃうとかそんなミラクルテク持ってるお方?
だからこの距離でも外しちゃうの?ひゃっはははははははは――……」
「こら」
はあ。可愛らしい溜め息。
「それくらいにしとけー。新入り、挑発しない。ジギスムント、挑発に乗らない」
ロザリンドは妙に色っぽい仕草で髪を掻き上げると、じろり。
「言い分は後で幾らでも聞いてやるから、やめろ。
上が揉めてて、部下共が気分良いと思ってるのか?示しが付かないから今すぐ、やめろ。」
さっきとは打って変わって、蛇に睨まれた蛙のように親に諭される子供のように、ジギスムントがおとなしく銃口を離した。
「ロザ公、だってこいつが…」
「後だ。ほら、新入り、お前もだ。私に解らないとでも思うのかー?」
……お見通し、と言うわけ。
鴇也は手の中に隠して使うタイプの短いナイフを、大人しくポケットへ仕舞った。
ジギスムントがあっと言う顔をする。しかし鴇也はどこ吹く風だ。
「喧嘩するなら、もっと解りにくいところでやってくれ。とりあえず、城の中はやめてくれ。後始末が面倒だ」
「ロザ公…」
「五月蝿い。ちょっとは反省しろ」
ほら。
ロザリンドはジギスムントを、彼の部屋のある方へ押した。
それから鴇也の方へ振り返って、お前も帰れと顎をしゃくる。
「……それから、新入り」
「あ?」
ロザリンドはジギスムントの方を振り返った。ジギスムントは苛々と足音を立てながら、大人しく部屋へ帰って行く。
その背中をじっと見守ってから、ロザリンドはまた鴇也を振り返った。
「お前がジギスムントとバルドに何かしたら、私がお前を殺す。絶対だ」
「…………」
「一応教えてあげるよ。バルドは軍服着せたあんたと、五百旗頭の孫に、バルドと五百旗頭の再現をさせたいのさ」
「……知ってるさ、そんなの」
「じゃあ、あとひとつ。……私もお前のこと、ジギスぐらい殺したいよ?……それじゃーおやすみ」
言うだけ言って、ロザリンドは鴇也に背を向けた。
余りにも無防備な背中。鴇也の力など、身を守る価値もないと思っているのだろう。
「……くそ」
ばたん!!!
蝶番が弾けそうなほど、叩き付けるように扉を占める。自分にあてがわれた、殺風景な部屋。
鴇也は着ているもの全てをベッドの上へ脱ぎ捨てると、一糸纏わぬ姿で備え付けの風呂場へ飛び込む。
冷水のシャワーを頭から被って既に固まった血と整髪剤を洗い流す。殴られた傷はとっくに治っていた。
「…………」
シャワーを止めて、鴇也は鏡に左手を付いた。
その上に映る自分を見る――……濡れて貼り付く金髪。高い鼻梁。薄い唇、……赤い、虹彩。
ぴしっ。薄氷を割るようなか弱い音。
ぴしっ。ぴしっ、ぴしっ…鏡の中の自分の顔が割れる。鏡の表面を血が滴り落ちて、排水溝へ流れていく。
しかしその赤よりも、己の瞳の方が尚赤い。
うう。
鴇也は唸った。
鴇也は邪眼を爛々と輝かせて唸った。誰にも気付かれないように、低く、……低く、牙を隠した獣の唸り。
みなごろしだ。おれのおもいどおりにならないもの、ぜんぶ。
みんな、みんな――……
うう、